☆ 観梅にいく ☆


 毎年3月には青梅の吉野梅郷に観梅に行く。関東随一と銘打つだけのことはあって見頃の梅の盛観は大したものだ。

 ところが今年は冬の寒さで開花が遅れ、仕事のスケジュールもあって、訪れる機会を逸してしまった。例年午前中から出掛けて昼飯を取りながらゆっくりと観梅するのだが、その時間を取ることができなかったのだ。だが今日の午後2時半過ぎに時間が空いた。これから出掛けると吉野梅郷に到着するのは4時過ぎになる。開園時間は午後5時までだ。しかも空を見ると雲行きが怪しい。躊躇した。しかし別に行かなくてはいけない義理があるわけではないが例年の行事、それも楽しい行事だ。意を決し出掛ける。最寄り駅日向和田到着は予定通り4時5分前、梅の公園に辿り着いたときには4時を回っていた。

 しかし、やはり来てよかったとすぐに思い直す。天気はいま一つ。ゆっくり観梅する余裕もない。腹が空いたが店に寄る時間もない。だが梅の花は最盛期、山の一角を覆う赤、ピンク、白、梅花の景観は実に素晴らしい。下手を承知のデジカメ写真を撮る。写真はお粗末でもこの感動をそこに記録しておくことができる。写真そのものを鑑賞するのではなく写真を通してこの感激を心に蘇らせることができるのだ。

 都会を離れて花見に行く。やはり良いことだ。パソコンで頭を悩ませるより遥かに心身ともに健康によい。気分はリフレッシュされ、久しぶりに長い時間アップダウンのある道を歩き良い運動になった。

 ここにあるのはありのままの自然ではない。人の手で改良されない限りこんな風に多品種の梅が纏まって咲くことなどない。その意味では本当の自然に触れ合っているのではない。しかし、人はずっと以前からあるがままの自然から遥か遠く離れ、人手の入っていない生の自然と触れ合い楽しむことは難しくなった。それは悲しい人間の運命なのかもしれない。だがそれでも美しい梅の花達の饗宴に接することで人が自然の中で生かされていることを感じ取ることができる。

 いや、こんな理屈はどうでもよい。やはり、吉野梅郷に咲き誇る梅の花は素晴らしい。それで十分だ。久しぶりに充実した時間を過ごした気がする。


(H20/3/23記)


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