神保町の古書店街を歩いて回るのが好きだ。一番良く顔を出すのは理工系書籍専門の明倫館書店だが、他の店も一通り見て回る。すでに絶版になっている名著や学生時代にお世話になった今は絶版になっている本を見て歩くと昔が思い出される。ノーベル賞受賞者で同じ町にお住まいだった朝永振一郎博士に憧れ天才物理学者になるのが夢だった子供時代、そんな才能はないことを認めざるを得なくなった大学生時代、鮮やかにとはいかないが脳裏に蘇ってくる。天才物理学者を諦めたあとは大作家、それも駄目だと分かって大哲学者を夢見たがいずれも挫折した。だが、そういう夢を見ることができた自分は幸せだと思うし、なんだかんだ言っても日本は私にとっては良い社会だ。そして、夢が変わり興味の対象が変わっても、いつも楽しませてくれるのが神保町の古書店街だ。私が幸せだと感じることができるのはこの古書店街のお陰だと言っても過言ではない。古書店街が健在であり続ける限り、私は夢を追い続けることができる。 感慨に耽りながら古書を見ていると、いつしか本に夢中になり時間を忘れる。私の学生時代、ランダウ・リフシッツの理論物理学教程やブルバキの数学シリーズなど物理学と数学の書籍で有名だった東京図書の本、名著と称えられながらも絶版になっている岩波書店の本などいつまで見ていても飽きることがない。そして、本を手にしていつのまにか数学や物理学の理論を頭の中で組み立てて天才物理学者の気分を味わっている自分を発見する。物理学や数学の本だけではない。生物学や天文学など他の自然科学や工学の本、哲学書、人文社会科学関係の本、全集、古地図や古文書、建築写真、美術写真、映画の本・パンフなどすべてが面白い。文庫専門店もなかなか味がある。長居すると店主や店員の目が段々厳しくなるのでほどほどにして引き揚げるが、周囲に誰もいなければ同じ店に何時間も留まり、朝から晩まで神保町の本屋で日を過ごすことになるだろう。ちなみにいつも立ち読みだけで済ませているわけではなく、ちゃんと購入することもある。 古書店を歩くと歴史が偲ばれる。多くの名著が絶版になり古書店で高い値で売られている。さすがに書き込みが多い本などは安価だが、絶版になっている名著などは綺麗なものだと定価の数倍以上の値段が付いている。上に挙げたランダウ・リフシッツなど巻によって値が違うがそこそこ綺麗なものだと1冊1万円を悠に超えている。30年近く前の話しだが千円くらいの定価の本が10倍以上になっているわけだが、物価や給料が3倍にもなっていないというのに大したものだ。他にも岩波書店や東京図書などを中心に絶版となっている名著は1万円以上の値が付いていることが珍しくない。それでも店に行くと前回は置いてあった本がなくなっていることに気付き、あんな高い値段でも売れるのだと驚かされる。大学や図書館が公費で購入するのだろうか。これは理工系の本だけに限ったことではなく文化系の本でも同じで入手が困難な本は高い。先日もワルラスの「純粋経済学要論」を読みたくてネットで探したが、いずれも1万円を超しているので、どこかで安く売っていないかと神保町をうろついて探したがなかなか見つからず漸く見つかったがやはり1万円以上していて、しかもさほど目立たないが書き込みが少なからずあり、購入を断念した。−その後、ワルラスは高円寺の古書店で購入した。こちらも1万円以上だったが、函に少し痛みがあるだけで本は新品同様だったので2週間昼飯を我慢して購入した。 その一方で絶版になっているのに値が下がっている本もある。マルクス・エンゲルス全集、レーニン全集などがその一例だ。特にレーニン全集など書き込みなどがなくてそこそこ綺麗でも2万円を切っていることがある。やはりソ連・東欧の共産主義が崩壊し、国内でも社会党が消滅し共産党が長期低迷に陥っていることが大きいのだろう。学生時代はちょっとした規模の本屋ならばどちらも必ず置いてあったものだから、部数が多く希少価値が少ないのかもしれない。だが、やはり見ていると売れておらず、供給の問題ではなく需要の問題という気がする。時代が変わったのだ。果たしてマルクス・エンゲルス全集やレーニン全集が高く売れるようになり、新たな版で出版される日が来るだろうか。 ちょっと気になることがある。以前から囁かれていたことだが、神保町の古書店街そのものが変貌しつつある。古くからの店がぽつぽつと消えていき、喫茶店になったり、ポップアートやグラビア写真集などを専門とする店に変わっていったりしている。勿論本心を言えばグラビア写真集はけっして嫌いではないのでそういう店はそれなりに楽しみになる。だがその類の店ばかりになっては神保町の存在意義は失われてしまう。アニメやDVDの専門店が席巻するようになりすっかり変貌してしまった秋葉原のように、私の愛する古書店街もいずれどこかに消えていってしまうのだろうか。ネットが普及し情報の入手が容易になり、すべてが新しく綺麗になっている現代、古書の魅力は薄れていくしかないのだろうか。古書店に代わってリサイクルショップが軒を連ねる日がくるかもしれない。いや、それだけは願い下げにしたい。ブックオフというスタイルそのものは悪くはないが、神保町にブックオフの大きな店が出来たら悪夢だ。 おそらく、そうはならないと思う。古書にはネットの情報や新刊本や新刊本まがいのリサイクルショップの本ではけっして得られない独特の感触がある。それは古典の魅力に通じるところがあり、人々を永遠に魅了する。 そう信じて今日も古書店街で遊んでいる。ただ近頃少し自分を残念に思うことがある。購入した古書が他の店で安く売っているのを見つけると無性に損した気がするのだ。以前はこんなことはなかったのにと思う。年を取りケチくさくなったのだろうか。それとも競争社会の毒がまわり経済効率至上主義に陥っているのだろうか。いずれにしろ困った傾向だ。遊び心と探究心をより一層大切にしたい。 了
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