最近、歴史に興味を持つようになった。そう言ったら、「歳をとったせいだ」と笑われた。若いころは、未来は希望に溢れ、今という時は楽しく、過去のことなど振り返る気にならない。だから歴史にも興味が湧かない。だが老いて先が見えてくると過去のことが気になりだし、歴史に興味が湧いてくるのだと言う。 私が興味を持ったのは貨幣の歴史だ。これはマルクス「資本論」の価値形態論と貨幣論、ジンメルの「貨幣の哲学」などに触発されている。だがマルクスの資本論を初めて読んだのは学生時代、すでに30年以上前のことで、そのときは貨幣の歴史を調べたいなどとは少しも思わなかったから、やはり歳の所為かもしれない。 歴史はしばしば異民族間の不和の原因になる。そういうときは歴史などみな忘れてしまえばよいのにと思う。だが歴史を知ることは一般的に言えば視野を広くする。貨幣の歴史を調べてみると、歴史に一寸詳しい人ならば常識の範囲なのだろうが、東洋の貨幣は最初から名目貨幣という色彩が強く、西洋の貨幣は素材価値に基づく価値尺度という色彩が強かったことが分かる。こんなことも知らないで、マルクスの価値形態論を論じていたのかと思うと自分が恥ずかしくなる。 マルクスがもし東洋で生まれ育っていたら、価値形態論や貨幣論は全く違ったものになっていたかもしれない。「資本論」には、貨幣とは本来金銀など貴金属であり、素材価値をその根源的な存在根拠とするという思想が色濃く流れている。これは西洋社会で育ち、西洋史=世界史と考えている者特有の思い込みに過ぎない。マルクスが少年時代、中国に暮らし中国人の学校で中国史を習っていたら、貨幣に対して全く異なる視点を身に付けることになっていただろう。 資本論では貨幣の機能の基礎は価値尺度であり、それにより流通手段、支払手段、蓄蔵手段になるとされる。紙幣は流通手段の代理になるだけで、貨幣本来の姿はあくまで金銀などの貴金属であり、その価値は貴金属を生産するために必要な社会的平均労働時間であるというのがマルクスの考えだった。貨幣が、銀行が運営するコンピュータのデータベースの数値(預金通帳の記録)で代表される現代から見ると、マルクスの考えはいささか時代遅れと言わなくてはならない。確かにマルクスが生きた時代を考えればそれも致し方ない。だが東洋の貨幣史をマルクスが熟知していれば、記号化された現代の貨幣制度を予測することができたのではないか、そして記号性こそが貨幣の本質を表現するという思考回路も開けたのではないか、そんな気がしてならない。 私のような者が今さら歴史を習っても、自己満足に終わるだけだが、これから社会の中心となって活躍する者や高い知性の持ち主は、世界と日本の歴史を学ぶことが視野を広げ良い仕事をするのに役立つはずだ。ただこんなことに気が付くのに50年以上掛かったとは、我ながら情けなくなる。凡人は歴史には興味を持たない方が身のためかもしれない。 了
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