☆ 人は信頼で生きている ☆


 中国製の冷凍餃子に農薬が混入し、中毒を起こした人が複数現れ、大騒ぎになっている。

 農薬が混入した経緯は当局の調査に任せるとして、今回の騒動で再確認したのは、なんだかんだ言っても、人はお互いを信頼して生きているということだ。食事に毒が混ざっているかもしれないなどと疑って食事をする者はいない。だが考えてみれば食事や食品に毒を混ぜようと思えば簡単にできる。食堂の隣の席でラーメンを食べている者が途中でトイレに立った隙に毒を入れるなど簡単なことだろう。青酸カリのような猛毒を手に入れることは容易ではないが、下痢や腹痛を起こす程度の毒物ならその辺にごろごろ転がっている。河豚だけではなく海や川の魚には毒を持つ種が少なくない。釣りに出掛けてそういう魚を釣り上げることは稀ではない。その毒を人が食べる者に盛ることは簡単だ。食堂の調理人や店員だって油断はできない。気が付かないだけで私は彼らの恨みを買っているかもしれない。恨みを晴らすために毒を入れることは十分に考えられる。

 それなのに、誰も店に並べてある食材も食堂の料理も疑うことはなく平気な顔をして食べている。食べ物に毒を入れる者などいないと互いに信頼しあっているからだ。だからこそ、飲食物や食事に毒が混ざっていたら大騒動になる。食事に毒を混ぜた者は世間から糾弾され厳しく罰せられる。こういう人間の根源的信頼関係を破壊して社会を崩壊に導く危険性があるからだ。

 目の前にある食物に毒が入っているかもしれないと疑いだしたら、食事をとることができなくなり死んでしまう。だから他人を信頼しているのではなく、疑うことができないだけだと哲学者ならば反論するかもしれない。だがそれは深読みし過ぎというものだ。私は食堂に入って注文するときに調理人や店員の態度を一々警戒することはないし、事前に店が安全かどうかを周囲の人に聞いて回ることもない。そんな必要はないと確信している。疑っていたら飢え死にするから決死の覚悟で食べているのだ、などということはない。

 人は他人を信頼して生きている。おそらく人を含めて集団生活をする全ての生物は仲間を信頼するという能力を授けられている。だからこそこれまで生き残ってこられたのだ。逆に言えば、この原初的な事実は、人の信頼を裏切ってはいけないことを教えている。


(H20/2/4記)


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