記憶は不思議だ。深酒でもしない限り昨日のことをしっかりと覚えている。 どこが不思議なのかと言われそうだが、それは人間が生まれたときからそういう風にできていたから何も不思議に感じないだけだ。 コンピュータのデータを考えてみよう。いつ保存され最終変更されたか記録されている。だが時刻情報は空間的な座標情報と何ら変わりはなく、私たちが普通感じている時間とは全く異質な静止した情報でしかない。勿論時間の経過とともに、時刻情報と現在の時刻との差は広がる。だがその差自身が空間的な距離と変わらない。時間は刻一刻と変化していくではないかと言われるかもしれないが、ご存じのとおり容易に時刻の再設定がコンピュータでは可能だから、刻一刻と変化していくことはない。 人間に限らずほとんどの生物には体内時計が備わっている。おそらくこの体内時計の存在こそが、時間感覚の源泉だと考えられる。コンピュータにもクロック装置が存在してこれが時刻情報の基となり、全体の運動を制御しているが、クロック装置と他の装置は信号の分配という働き以外には特別な関連はない。しかも信号の流れも基本的に一方向に留まる。これに対して生物の体内時計は他の身体器官や体液の循環と密接な連携をとって動作しており、また外部から絶えず影響を受けている。特に太陽光は時計の補正に欠かせない。 しかし、体内時計の存在で時間感覚を獲得したとしても、昨日の出来事と一昨日の出来事をいかにして時間の中に順序づけるのかという問題が残る。本当がどうか知らないが、鳥は3歩で前の記憶を失うと言うが、人間はどうやって過去の出来事を記憶するのだろうか。コンピュータのように出来事に時刻情報が刻印されているのだというのが一つの答えだ。しかし1週間ほど前の出来事ならば、何日何時に該当の出来事が発生したか覚えているが、1年も前の出来事だと何か手掛かりとなる大きな事件や祝日など参考情報でもない限り正確な日時など覚えていない。それでも、私たちは二つの出来事の順序関係をたいていの場合覚えている。発生時間順に情報が脳に記憶されていれば順序を間違えることはない。だが人間の脳では毎日膨大な数の脳細胞が死んでいく。だから、そんなにきちんと順序だって記憶が整理されているとは思えない。 時間感覚と正確な記憶は人間の本質をなす。記憶は人間に掛けられた最大の呪いだという言葉があるが、時間感覚と記憶のお陰で私たちは生老病死に脅かされ、過去の出来事や行いで苦悩し人を妬んだり恨んだりする。 記憶を解明することは、生物学やコンピュータサイエンスなど学問上の謎の解明や医療に役立つだけではない。人間の本質を解明して、人生の苦悩から人々を解き放つことになる。だが、だからこそ、おそらく人間は記憶を完全に解明することはできない。呪いを解くには神の助けが必要なのだ。 了
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