日本の人口減少は経済的にはさほど深刻な問題ではないとマクロ経済学者は言う。 50年代から70年代初頭の高度成長期、日本は平均して毎年10%程度の経済成長を成し遂げたが、その期間の労働人口の増加は年間1、2%程度で、成長の8から9%は資本蓄積と技術進歩によるものであり、少子高齢化が進み労働人口が毎年1%減少していっても、資本蓄積と技術進歩で年2%程度の成長は十分に維持することができると言う。 1年に2%の成長を維持できれば、35年で経済の規模は倍になる。人口は減少するのだから、一人あたりのGDPは2倍以上になる計算だ。このとおりにいけば、少子高齢化は経済的には何の不安もない。子供が少なくれば教育の質は上がるし、長寿が進めば新しい産業が花開くことになる。国土が狭い日本にとっては願ったり叶ったりだ。 個人的にも少子高齢化は悪いことではないと感じている。発展途上国では人口爆発が続いており環境負荷の増大や資源枯渇、食糧不足などが危惧されており、日本の人口が減ることは、大した効果はないとは言え、人口増加の弊害の歯止めになる。人口が減り利用できる土地が増えれば発展途上国からの移民を大規模に受け入れることも可能となり、これは大変に有意義な国際貢献となる。 だが経済が35年で倍になるという経済学者の予測はあまり信じる気にならない。50年代から70年代初頭と21世紀という今日では環境が全く違う。自然環境破壊と資源枯渇は経済成長に大きな制約となる。発展途上国の急成長は資源や食糧への需要を増加させ、価格の急騰を促す可能性が強い。二酸化炭素削減には漸くアメリカや中国も本腰を入れだして解決のめどが少しばかり立ってきたが、予断は許さないし、そもそも環境問題は二酸化炭素増加による温暖化だけではない。温室効果ガスは二酸化炭素だけではなく、メタンなど多数のガスが存在する。しかも今のところ量が少ないから二酸化炭素ほど大きな問題となっていないが温室効果は寧ろ大きい。フロンによるオゾン層破壊もフロンの使用禁止で一時期オゾンホールが小さくなった時期もあったが、再びオゾンホールは拡大しており学者たちを困惑させている。自然環境問題はすでに人間の手には負えない状況まで進んでしまっている可能性がある。 資源の枯渇も深刻だ。発展途上国の石油需要はこれから急増する。電力を石油から原子力に切り替えたくらいではいずれ追い付かなくなる。そもそも原子力は資源問題と二酸化炭素問題ですっかり救世主にされているが、深刻な事故の危険性や放射性廃棄物の処理の問題が解決されたわけではない。水素燃料やバイオ燃料、太陽光や風力なども現代の巨大消費文明を維持拡大しようとする限りオルタナティブとはなりえない。 食料問題も深刻化する。長年の経験や研究の成果、さらにはバイオテクの導入で、食糧の生産性は向上している。だが資源と同じで、食糧も加工品とは異なり、人間が望むように生産量を上げることはできない。発展途上国の人々は一部の金持ちを除けば質素な生活をしているが、発展すれば現代の先進国の国民と同じように贅沢になっていく。食事も豪華で無駄の多いものとなっていくに違いない。果たして、そのとき世界の人々の欲求を満たすことはできるだろうか。人口爆発が続く限り容易ではない。 マクロ経済学者の予測は、地球環境の人間活動に対する許容度と資源が無限で、人々が欲望を適切に制御することができれば的中する可能性もあるが、望みは薄いと思われる。 人間社会の未来はあまり明るいとは言えない。日本の人口減少はその中で逆説的に人間が危機を乗り越えていくための格好の実験室になるかもしれない。私たちにいま求められているのは、何よりも発想の転換だろう。それは経済至上主義からの脱却ということだ。 了
|