☆ 数学は苦手 ☆


 若い頃は数学が得意だった、いや、得意だと思っていた。ところが放送大学大学院科目「複雑システム科学」の教材にある計算問題を解こうとして、できない自分に気付いて愕然とした。

 30年前いや20年前ならば楽に解けたはずの微分方程式を解くことができない。多重積分やマトリクスの固有値と固有ベクトルの求め方も忘れている。電気回路の計算もさっぱりだ。

 考え方は分かる。非線形系でカオス現象が起きること、そこにフラクタル(スケール不変性)が発見されること、相転移に伴う臨界現象で大きな揺らぎによりフラクタルが現れること、こういう理論的な構造とその背景にある思想は理解できる。ところが計算問題を解くことができない。

 少し勉強すれば思い出すだろうか。ためしに線形代数と微分方程式の本を古書店で手にして立ち読みをする。まあ何とか分かりそうだ。二冊購入して家で読んでみる。だが歳をとった所為だろうか、なかなか頭に入っていかない。計算を最後まで遣りとおすのが億劫で仕方ない。

 数学が苦手だ、嫌いだという人は多い。理系に興味はあったのだが、数学が苦手なので断念したという人も少なくない。

 どうしてだろう。人間の脳がアナログだからだと思う。厳密な数学的計算は人間の脳に合っていない。数学は理路整然としているが、人間は理路整然としないものを、理路整然としないままに扱い、適当に理解して暮らしている。10足す5は15。計算を習う前の幼児でも、だいたい10個くらいの物の集まりと、だいたい5個くらいの物の集まりを比較して、足し算することができるらしい。(だいたい10)足す(だいたい5)は(だいたい15)、こんな風に計算をしているらしいのだ。幼児の脳は典型的なアナログ計算機と言える。

 人間の脳は大人になってもアナログ計算機のままなのだ。言葉の定義が曖昧なために諍いが起きることがある。だが言葉の厳密な定義はできないし、言葉の定義が厳格に決まっていたら、会話を楽しむことはできない。言葉の定義が曖昧だからこそ私たちは楽しく会話をすることができ、言葉の芸術も成り立つ。

 1と0と僅かの演算で全数学が展開できる。つまりデジタルは数学の基礎だ。だがデジタルは正確性という面では優れているが、デジタルコンピュータには、人間のような曖昧で多義的であるがゆえの創造性はないし、面白みもない。

 人間が数学を苦手とするのは脳の構造からして当然のことなのだ。だからこそ苦労してデジタルコンピュータという機械を発明したのだと思う。若い頃私が数学を得意だと思っていたのは錯覚に過ぎない。この歳になり漸くそれに気が付いた。

 生まれながらにして数学が得意な人間などおそらくいない。九九を習うことが数学教育に欠かせないのは、アナログな脳をデジタルに近づけるのに不可欠だからだ。九九の意味やその根拠など問うことなく、子供達は九九を丸暗記していく。そして数学的な能力の基礎が脳の中に形成される。だが、それでも本質的にアナログな脳の働きの中で、数学は異質な存在であり続ける。数学が嫌いで苦手なのは人間の本質だ。だがその嫌いな数学なしには生きていけないような社会を作り出したのも人間だ。いやはや人間は困った生き物だ。

 それにしても幾ら久しく計算していないからといって、何でこんなに計算が出来ないのだ、全く情けない、やはり歳か?


(H19/10/10記)


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