☆ 秋葉原、アキバ ☆


 総裁選では劣勢だが、アキバと呼ばれる秋葉原での麻生人気は大したものらしい。秋葉原での街頭演説で麻生氏は一矢を報いたというところだろう。だが秋葉原が技術立国日本を象徴し未来に明るい展望を開いた時代はすでに終わっている。

 かつての秋葉原を象徴した電子回路の部品や測定器などを売る小さな店も健在とは言え、いま秋葉原を歩いて否応なく目をひくのは欧米諸国から厳しい非難を浴びている児童ポルノの類だ。美少女があられもない姿態をさらすアダルトアニメ、小学生や中学低学年の少女にTバックの水着をはかせ股間をアップで撮影したDVDビデオ、そこにあるのは明るい未来ではなく退廃していく日本の姿だ。麻生氏としては若者文化に理解ある政治家をPRしたいのだろうが、アキバ人気は寧ろ麻生氏が日本の退廃を象徴する存在であることを意味している。事実、麻生氏は、総理になるよりも、バラエティ番組のレギュラーとして面白い発言をして笑いをとっている姿が似つかわしい。尤も、71と高齢でしかも安部氏と共通する真面目だがひ弱さを感じさせる福田氏が総理に相応しいとも思えないから、どっちもどっちなのだが。

 何でも規制すればよいとは思わないが、秋葉原に蔓延するアダルトアニメや小中学生が出演するDVDビデオにはいずれ規制が課せられることになるだろう。それを見込んでか、今のうちだとばかり大量のDVDを買い込んでいる若者たちをよく目にする。彼らの気持ちは分かる。だが、それはけっして健全な行為ではない。もっと別なことにエネルギーを注ぎ込んでもらいたい。

 活力ある健全で明るい未来を象徴する場所として秋葉原が蘇る日はもう来ないのだろうか。おそらく難しいだろう。グローバル化する自由主義経済は地域の伝統を解体する。その一方でグローバル経済は分業を徹底化するから、資本の倫理に合致した形で地域の分化が促される。必ずしもグローバル経済が画一化を促すとは限らない。だが正に資本の論理が生み出したのが今のアキバだ。エログロへの需要がなくなることはない。それはおそらく人間の本性に根差すものだからだ。そういう商品を集中的に扱う場としてのアキバは、分業化を促進するグローバル経済の象徴とも言える。たとえ退廃の徴だとしても、それがなくなれば、秋葉原は新宿や渋谷と何ら変わらない個性のない平坦な街に変貌してしまう。

 それも時代の流れなのだから致し方ない。ただ寂しいのは明るい未来を感じさせる場所がどこにも見当たらないということだ。これでは緩やかに崩壊していく日本というビジョンしか思い浮かばない。そして事実そのとおりになる予感がする。「19世紀の終わりから20世紀にかけてアジアで最も成功した国だった日本も今やあらゆる分野においてアジアで最も遅れた国となっている。」と評される日がそう遠くない将来遣って来るかもしれない。

 生まれも育ちも東京の筆者には東京に愛着がある。だが東京はもう駄目だ。余りにもそこは略奪されすぎた。地の力がそこには残っていない。東京以外に、かつての秋葉原、日本の明るい未来を展望させる場所を開拓する必要がある。次期総理が福田になるのか、麻生になるのか、はたまた民主党が政権奪取して小沢が総理になるのか知らない。別に誰に期待するわけでもなければ、この人だけは駄目だという者がいるわけでもない。だが、誰がなっても、いまのカタカナやアルファベットのアキバ、AKBAではなく、ラジオやテレビや電子回路の部品に溢れ技術立国を象徴していた(漢字の)秋葉原に匹敵するような場所を創設することを目標として掲げてもらいたい。グローバル経済にただ任せておいただけでは東京以外にこういう場所が生み出されることはない。政治家の指導と各地域住民の叡智でこういう場所を創設していくのだ。

 ただ、ばら撒き財政は駄目だ。それでは資本の論理に支配される空間的な分化しか生まれない。そこには注意が必要だ。


(H19/8/20記)


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