☆ ちょっと不安 ☆


 台風4号が接近した日の朝、中央線に乗っていたら、「お急ぎのところ大変申し訳ありませんが、〇〇駅と△△駅の間で運転手が異常音を検知したので安全確認のために暫く停車いたします」という車内アナウンスが流れ電車は三鷹駅で停車してしまった。

 異常音くらいで停車するなよと心の中で呟いたが、安全第一だから致し方ない。すると10分ほどして「安全確認が取れましたので発車します」というアナウンスとともに、何事も無かったかのように電車は出発し、風雨が強まり帰宅を急いでいた私はほっと胸を撫で下ろした。

 だが一寸不安が残った。運転手はプロだ。運転中には種々雑多な音が聞こえてくるだろう。少々の異常音では通常問題なしと判断して運転を続けているはずだ。その運転手が異常音を検知したというのだから尋常な事態ではない。10分くらいの安全確認作業で本当に安全確認できるものなのだろうか。乗客を降ろし、電車を車庫に誘導してじっくり時間を掛けて調査をするべきではないのだろうか。

 そもそも運転手は10分程度の点検で安全であることを納得したのだろうか。異常音の原因が解明され運転手に知らされたのだろうか。疑問だ。

 その後、事故の報道がないところをみると問題はなかったのだろう。だがいつでもそうだとは限らない。

 文明の発達で私たちは安全で快適な生活を手に入れた。特に都会の生活の利便性は素晴らしい。だが危険がなくなったわけではない。東京のような過密都市では異常音を検出したくらいで長時間電車を止めていたら生活が成り立たなくなる。乗客は苛立ち駅員に早く動かせと詰め寄る。だが万一事故が起きれば被害は甚大となり、普段は早く動かせと迫る乗客は掌を反したようにJRに安全管理上の不備があったと非難する。これが過密都市の抱える現実だ。

 所詮、それはトレードオフの問題だということかもしれない。そういうリスクを負っても、文明の利器がもたらした利便性はリスクを上回ると人々は信じて暮らしている。確かに明治時代の日本よりも現代の日本の方が遥かに安全で快適であると私も考えている。だがリスクをゼロにはできないこと、毎日無事に帰宅できるのは幸運の賜物であることを覚えておくことも必要だろう。


(H19/7/16記)


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