☆ 忙しない世の中 ☆


 一昨年の暮れ、昭和30年代の下町を描いたアニメ「三丁目の夕日」の映画版が公開されて大好評を博した。キャッチコピーに「携帯もパソコンもテレビもなかったのにどうしてあんなに楽しかったのだろう」とあるが、本当だ。

 昭和30年生まれの筆者が小学生の頃はまだカラーテレビがある家は少なく、ウルトラマンに登場する人気怪獣レッドキングが実は白いと聞かされ衝撃を受けた子供たちが少なくなかった。レッドキングと呼ばれているから当然赤いと思っていたのだ。今にして思えば長閑な時代だった。

 昭和30年代が本当に幸せだったかどうかは怪しい。労働運動や学生運動の過激化で左右が激しく争い暴力事件も少なくなかった。清貧と明るく優しい人柄から広く国民から愛されていた浅沼稲次郎社会党委員長が右翼青年の凶刃に倒れたことも記憶に鮮明に残る。公害も一段と深刻さを増していた。家の近くのどぶ川がぶくぶくとメタンガスを発していたのを思い出す。国民すべてが明日への夢を持っていたわけではない。孤独な老夫婦を描き日本映画の最高峰と称される小津監督の「東京物語」が上映されたのは昭和28年だが、昭和30年代は核家族化がさらに進展して老人の孤独が深まった時代でもある。海外に目を向ければ、米ソ対立と軍拡競争で人類は存続の危機に瀕していたし、毛沢東への個人崇拝が強まった文化大革命当時の中国は現在の北朝鮮に近い状態にあり、日本の安全は今とは比べ物にならないくらい危うい状態だった。

 今は物が豊富で、都市近郊の河川の汚染は改善された。医療や保健衛生の質が高まり感染症は減り多くの病気が治るようになり寿命は延びた。冷戦は終わり、地域的な脅威は至るところに残るが人類滅亡の危機は去っている。中国では経済成長路線が定着して、台湾問題や貧富の格差拡大に不安が残るものの脅威ではなくなった。

 こうしてみると、過去を美化したくなるという人間の習性を除けば、昭和30年代よりも今の方が遥かに幸せのようにみえる。映画のヒットも単なるノスタルジーに過ぎないと言いたくなる。だがそうとばかりは言えない。余裕がなく忙しないからだ。しかも人を信じることができないという嘆かわしい事態も起きている。

 週休二日が当たり前になり労働時間は減少し休日は増えたが、労働密度は高くなった。昔は、営業マンは営業で会社を出れば比較的自由に振舞うことができた。仕事が終われば帰社前に喫茶店で一息ついて高校野球や相撲を観戦することができた。善し悪しは別として映画を観ていた者もいた。だが今は携帯で四六時中追い回されて、そんなことは不可能だ。顧客と商談中に携帯に連絡が入り次のスケジュールが追加される。セキュリティが厳しく営業自体が遣りにくくなった。アポなしで一寸御用聞きに行くなどということはできない。そう言えば「御用聞き」という言葉自体が死語になっている。警察、消防、病院、電気、ガス、水道、通信だけではなく、多くの企業で24時間体制が当たり前となり、保守や修理を担当するスタッフは枕元に携帯を置いて、事故や故障が発生したらいつでも出動できるように自宅待機している。いやスタッフだけではない。企業の社会的責任追及が厳しくなったこともあり、経営者や本部長クラスの者まで枕元に携帯を置いて事故があればすぐに現場に駆けつけられる体制を敷いている企業が増えている。だがこれが一般従業員には余計負担になっている。下手なことをすると煩い役員が飛んでくると。いや、実に忙しない。

 パソコン、携帯、インターネット、ゲーム、DVDなどの普及で遊ぶ手段に事欠くことはない。だがその分時間に余裕がなくなった。子供の頃は休みをどう過ごすかで悩んだものだが、今は悩む暇もなく休みは終わってしまう。人が物を探すのではなく、物が人を探す時代になっている。確かに寿命は延びたが、人としての本質的な寿命(余裕のある豊かな時間)が本当に延びたのかどうか疑問だ。

 子供の頃は、路上で新聞や畑で取れた野菜が無人で販売されていた。当時は鍵の掛かる自販機などなく、容易にお金を払わずに持ち帰ることができたが、皆きちんとお金を置いて持っていったものだった。今ではそんなことは考えられもしないだろう。

 平和で豊かになったが、人々の幸福はそれに比例していない。道徳的にも進歩していない。いや幼児虐待や生活に不安を抱える老人を騙して平然としている者たちをみていると寧ろ退化したと言わなくてはならない。

 まず自分の足下をよく見ることが必要だ。何が欠けているのか、何を失ったのか。それを知ることから初めて改善の可能性が生まれてくる。


(H19/5/2記)


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