☆ ミクロコスモス ☆


 電車の乗客を見ていると、ほとんど全員がミクロコスモスを形作っている。携帯の画面に集中している者、iPodから流れる音楽の世界に沈潜している者、話しをしているのは恋人たちか一杯遣ったサラリーマンだけだ。斯く言う筆者も最近はiPodに嵌まっている。

 一期一会という言葉がある。電車で隣り合った見ず知らずの人とほんの少しでも会話を交わしたらよいだろうにと思うのだが、そういう人を見かけることは滅多にない。人間という生物種は他人に無関心な存在なのだろか。

 そうではないと思う。地方に行くと見ず知らずのおじさんやおばさんが気軽に声をかけてくれることが少なくない。電車の中だって、可愛い赤ちゃんが会話の切っ掛けになって知らない人どうしが親しくなることがある。集団を作って助け合って生きていく生物種である人間は基本的に他人との交わりを求める存在なのだ。

 ミクロコスモスを作って他人との関わりを遮断するのは人が多すぎるからだ。さらにITの普及がそれを加速している。産業の発展は人々の幸福を増進したが、先進資本主義国ではいまや飽和状態に達している。発展途上国では産業の発展が不可欠だが、先進国では産業の発展は人々の幸福を増進しない。寧ろ経済発展とITの過剰な浸透が人をミクロコスモスに押し込め暗く不幸にしていく。

 産業の発展は富を増進して人々に幸福をもたらすという使い古しのドグマ、ITの浸透は必然であり人々のライフスタイルをより善いものに変えていくという企業の宣伝文句を抜本的に疑う必要がある。

 先進国に暮らす者は発展途上国の経済発展を支援する一方で、自分達は簡素な生活を心がけ、GDPなどの量的な経済指標ではなく人々の平和と健康、信頼関係を重視するようにライフスタイルを変えるべきだろう。

 いずれにしろ、電車の中で人々がミクロコスモスに閉じ篭っているのは異常な状況であるという感覚を忘れないようにしたい。


(H19/4/23記)


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