人間は蕩尽すべき過剰を背負い込んでいるとバタイユは述べている。バタイユはケインズと通じるところがあると言われるが、有効需要の不足は人間が過剰を抱えていることを示している。穴を掘って埋めるだけでも意義があるとケインズは述べたが、正しく、これは過剰を蕩尽する試みだ。 日本人は失われた10年を嘆いているが、ワークシェアをして質素に暮らしていれば、失われた10年は穏やかで幸福な時代として人々の記憶に留められていただろう。ところが人間はそれでは満足しない。 過剰は資本主義発展の原動力となり、マルクスの予言を裏切って、数多の危機を乗り越えて資本主義は大発展を遂げた。 だが、これがこの先も続くと楽観してよいだろうか。環境破壊、枯渇する資源、目先の利益だけに汲々として理念を失った人々、おそらくこのままでは人間自身を蕩尽することになる。 私たちにとって、過剰を適切に制御することが喫緊の課題となっている。偉大な宗教の開祖たちは過剰を抑制することを説いた。だが信徒たちは教えを守ることができない。信仰だけでは過剰は十分に制御することはできず、知恵が欠かせない。しかし、現代人は知恵をコンピュータとインターネットという便利な道具に任せようとしている。 人間はやがてみずからが作り出した人工知能にその地位を譲ることになるのかもしれない。それは憂鬱な想像だが、地球を巻き込んで人類が破滅するよりはマシだろう。 了
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