☆ 意識の不思議 ☆


 筆者はさほど強い痛みを経験したことはないが、鬱病患者はしばしば肩や腰に疼痛を訴えると専門医は言う。だが色々検査をしても痛みの原因は見当たらない。

 勝手な想像だが、こういうことではないだろうか。人の身体は、本来、四六時中あちらこちらが痛みを感じるような状態にある。しかし、心身ともに好調なときはそれが意識に昇らないようになっている。ところが体調を崩したり、精神的なスランプに陥ったりすると、この抑制機構が働かなくなり普段は感じない痛みも感じるようになる。

 電車の中で赤ちゃんが泣いてもほとんど気にならない。「赤ちゃんは泣くのがお仕事だ」と寧ろ微笑ましいくらいだ。だが、ストレスが溜まって苛々しているときや体調が悪いときには、赤ちゃんの鳴き声が溜まらなく煩く、親に静かにさせろと文句が言いたくなる。隣人が聞いている音楽が微かに漏れてきても大抵は気がつかないか、気がついても大して耳障りに感じないが、体調が悪いときや苛々しているときにはとても気になる。心身が不調のときには、外部からの雑音を遮断する機能が十分に働かなくなるのだろう。これと同じで、鬱になると内部からの雑音を遮断することができない状態が定常的に生じるのではないだろうか。

 人間の意識がどういうメカニズムで生じるのか、どのような働きをしているのか分かっていない。だが意識は人が思うほど立派な働きをしているとは思えない。人間の活動の大部分は無意識に行なわれている。心臓など不随意筋は意識とは無関係に脳の指令で動いている。階段を昇っていくとき階段の形状や自分の脚の動きを一々意識することはない。数学の問題やパズルに取り組んでいるとき、順調に問題が解けていくときはほとんど自分の思考を意識することはない。

 おそらく、意識現象の意義は心身の不調を知らせることにある。鬱の疼痛は本人に心身に何らかの不調があることを警告して休養を取るように促す。

 しかし、不調を知らせるのに意識を呼び覚ます必要が何故あるのか、やはり謎だ。呼び出された意識が頭の中で暴走して益々心身ともに不調になることが多いから、尚更それが理に適ったことだとは思えない。意識は、進化の過程で何らかの利点があったので生き残ったと考える人が多いが、寧ろ、淘汰されずに生き残ってしまった有害な突然変異だったのではないだろうか。


(H19/2/4記)


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