☆ アダム・スミスのリアリティ ☆


 贈収賄、談合、不正経理、時代が変わっても、人間が遣ることはあまり変わらない。仏陀、イエス、ムハンマドのような偉大な世界宗教の開祖たちが、利己心を捨てることを勧め、富に固執することを厳しく戒めたにも拘わらず、人は相変わらず貪欲で身勝手だ。

 アダム・スミスはアメリカ独立宣言と同じ1776年に著した「国富論」で、規制や独占を重視する重商主義を厳しく批判して、自由主義経済こそが人々を豊かにすると主張し、現代経済学の礎を築いた。スミスは、個人が自由に自分の利益を求めて行動することで、「見えざる手」(インビジブル・ハンド)に導かれて、社会の富を増進すると考える。

 だが、アダム・スミスはけっして人間と社会に対して楽観的な見通しを持っていたわけではない。

 「見えざる手」を語る箇所で、スミスは「公共の幸福のために商売しているふりをする人々が幸福を大いに増進させたなどという話しを聞いたことはない」と述べている。スミスには、人間とは本質的に利己的な存在であり、それを完全に克服することは不可能だというシビアな認識がある。「だからこそ自由にするべきだ」とスミスは主張する。規制や独占があると、独占している者、規制を課す者、規制を課す者と懇意で便宜を図ってもらえる者は、既得権益に胡座をかいて、自分の利益だけを追求して社会全体のニーズを軽視し、しかも蓄積に不可欠な節倹の精神を失い、社会の発展を阻害する。さらに罰せられる危険が少ないので容易に非人道的な行為を犯す。

 一方自由に競争できる社会では、人々は利益を得ようとすると、他人に配慮しなくてはならない。詐欺や暴力で一時的な利益を得ても、必ず後でしっぺ返しを喰らうから、安定的に利益を得るためには良心的に振る舞う必要がある。だから、自由主義経済の方が規制や独占に頼る重商主義経済よりも遙かに豊かで公平な社会が生まれるとアダム・スミスは説く。だが、同時に完全な自由は難しいこともスミスは認識している。アダム・スミスの現代性は明らかだろう。

 もちろん、現実には、自由競争と言っても、人々は同じスタートラインに立てるわけではない。豊かな者や権力を有する者がいて、その一方ではそういうものとは無縁な多数の人々がいる。そこでは公平な競争は事実上不可能だ。また競争に敗れた者が脱落していくことで独占が復活することも珍しいことではなく、スミスの時代から現在に至るまで、完全な自由競争が存在した例しはない。競争に敗れた者が見捨てられたままになる危険性もある。

 また、マルクスの後継者ならば、人が私利私欲に走るのは私的所有制度が存在するからで、共産主義が実現すれば人々は社会のために働くようになる、スミスの人間観はブルジョアイデオロギーに過ぎないと言うかもしれない。

 だが、現実の共産主義者は無私ではない。ブレジネフ時代のソ連には、「ブレジネフの母親が息子の豪邸に遣ってきて、その余りの素晴らしさに驚愕して、共産主義者が革命を起こしたら大変だと心配した。」というジョークがあった。たとえ、もっとよい共産主義社会が実現したとしても、個々の共有財産は生活と産業活動のために誰かが実質的にそれを占有することになるから、人々が物に執着することがなくなるとは思えない。政治経済や法制度が変化することで、人の考え方や行動が変わるのは事実だが、物欲を完全に解消することはできない。スミスの人間観が完全に正しいと言えるかどうかは別として、教条的なマルクス主義者よりも、スミスの方が人間の本来の姿を的確に捉えている。

 自由な市場経済を信奉する現代世界はアダム・スミスの期待した社会に近いものだと言ってよい。だが、そこにスミスのようなシビアな人間観、社会観があるだろうか。スミスには、「人間は利己的でそれを克服することは困難」、「だから規制よりも自由がよい」、「だが自由を実現することは容易ではない」という極めてリアルな認識があった。今の自由主義者たちにそれがあるとは思えない。たとえば、安部首相や彼を支持する者たちの考え方はこうではないか。「日本人は本来美しい国に住む美しい人間で、グローバルな市場において素晴らしい業績を上げることができるのに、一部の外国崇拝者や左翼や人権屋が日本を駄目にしている」、「そういう者を教育基本法や憲法を改正することで排除するべきだ」、「そうすれば美しくて強い日本が誕生する」。驚くべき楽観主義だ。スミスの対極にあると言えよう。

 スミスは、自由な市場経済を手放しで賞賛しているのではない、それを普遍的な理念だと主張しているのでもない。利己的な人間の集団である社会のシステムとしては他のシステムよりはマシだと言っているに過ぎない。そこでは様々な問題が発生するが、それでも独占や規制の網の目が社会に張り巡らされているよりはずっと良い。これがスミスの教えだった。ところが近頃の政治家の発言を聞いていると、民主制や人権と並び、市場経済を普遍的な理念だと語ることが多い。しかし、自由主義経済の開祖とも言うべきスミスが、それに同意するかどうかは大いに疑問だ。

 グローバルな市場経済を理念として無批判に賞賛するのではなく、その背後にある人間性、社会の仕組みに着目し、困難な課題がそこから絶え間なく湧き出てくると考えることが不可欠だ。

 スミスは現代世界にとって両刃の剣と言える。だからこそ、私たちはアダム・スミスの思想にもう一度目を向ける必要がある。


(H19/1/19記)


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