心は何故あるのだろう、心は何に役立っているのだろう。細菌やアメーバのような原生生物には心があるとは思えない。無生物はもちろん心などないだろう。だとすると、生物進化の過程で心が生まれたに違いない。 心を持つことで人類は進化上有利な地位を得たという考えがあり、心(意識)の進化論説などと呼ばれる。心を持ったから自然淘汰の結果生き残り繁栄したというわけだ。ベルグソンの哲学にも同じような発想がある。 だが、本当に心の発生は進化上有利だったのだろうか。 高度に分節化した言葉を操り数学や論理学を駆使する知的能力は、人間が環境に対して他の生物とは比較にならないほど柔軟な行動を取ることを可能にした。 しかし、知的能力は心を必要とするとは限らない。将来、コンピュータは人間を超えた知的能力を持つようになるだろう。だからと言って、コンピュータが心を持つようになるとは考えにくい。コンピュータは心を持たないままに人間より優れた知的能力を持ち、コンピュータ内臓のロボットは人間より環境に巧く順応するようになるだろう。 心があるから、楽しいこと、嬉しいことがあると言う人がいる。だが、心があるから、苦しいことや悲しいことがある。喜びより苦しみの方が強く長続きする。人は楽しいとき楽しさを意識していることはほとんどない。ところが、苦しいときは苦しさを強烈に意識している。 心は余計な存在だと思う。心がなければ心を病むことはない。死を恐れることもない。死を恐れなくても死を回避して種を繁栄させることはできる。そういう本能が備わっていればよいのだから。 きっと、心は傲慢な人間に対する神の罰なのだろう。 |