☆ いい加減だからよい ☆


 ハイビジョンの映像を非圧縮で伝送すると毎秒1.5ギガビット以上の速度が必要になる。しかしハイビジョンの地上デジタル放送の伝送速度は精々20数メガビット程度でしかない。つまり、ほぼ100分の1に圧縮して送っているわけだが、それでも人の目には非圧縮の映像と同じくらい綺麗にみえる。サッカーの試合など動きが早い映像では、圧縮と非圧縮を見比べると、さすがに違いを感じるが、普通の映像ではほとんど差は感じない。こうしてみると、人の目が結構いい加減であることがよく分かる。

 人間に限らずすべての生物には、無限に存在する自然界の情報から、自分たちが生きていくために必要な情報だけを選択して取り入れる仕組みが備わっている。蛙の目は動かないものにはほとんど反応しないと言われているが、そのお陰で餌だけを捕まえることができる。

 コンピュータやコンピュータ制御のロボットは、基本的にセンサで感知したすべての情報を取り入れて、複雑なアルゴリズムを使って、そこから必要な情報を抽出する。だから生物よりも遙かに高速な電子回路で出来ているのに厳密な数学的計算以外のことは得意でない。

 コンピュータやロボットを、人間や他の生物のように、上手に環境に適応することができるようにするには、もっと(いい意味で)いい加減な情報処理システムにしないといけない。

 ところが、それが極めて難しい。人間自身はいい加減な情報処理をしているのだが、そのいい加減な仕組みがどうなっているのか分からない。コンピュータのような複雑で精巧な機械を作るには科学が欠かせないが、科学的に物事を解決するには厳密な思考と作業が不可欠になる。ところが厳密な科学的思考の対象になるのは常に厳密な情報とその処理方法で、いい加減なものを科学的に理解することは実に難しいのだ。曖昧なもの、複雑なものを扱う理論であるファジー理論や複雑系の理論も、理論自身は極めて厳密で、理論に登場するのは厳密な記号と計算ばかりだ。要するに、私たちには、環境に上手に適応するいい加減な情報システムを理解して作り出す手掛かりがない。

 どうやら、人間並みに柔軟で適応力があるコンピュータやロボット、動物のようにしなやかで魅力あるロボットが登場する日は遙か遠い未来のことになる。これは人間がいい加減な作りをしているからなのだが、だからこそ私たちの生活は魅力に富み、楽しいのだとも言える。いい加減であることは悪くない。時間厳守だ!などと余り堅いことは言わないようにしよう。


(H18/10/22記)


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