☆ 完治しなくても遣っていける ☆


 パニック障害とそれに伴ううつ病を患ってからはや9年が経つ。適切な治療と周囲の支援で症状は治まっているが、正直言って完治したとは言えない。今でも量は減っているが服薬は続けているし、心身ともに病気になる前に戻ったとは言えない。加齢の影響もあるだろうが、以前と較べて明らかにストレス耐性が落ちているし、活力も全体的に衰えたと白状しないわけにはいかない。

 見方によっては、依然として病気が続いていると言えなくもない。だが、この類の病気の場合、ある程度回復してくると、病気かどうかは自分の心の持ちようによって決まるという面がある。事故で脚を失った人は、怪我が完治しても、脚を失ったという現実とともに生きていかなくてはならない。筆者の場合も、パニック障害により、病気そのものは治ったが、パニックや鬱状態を起こしやすい体質になってしまったと考えることもできる。そうすれば、自分はそういう性質の人間なのだと覚悟して生きていける。

 定期的な服薬と過重なストレスを回避すること、この二つを実践することで、体調を維持している。正直に言えば、もっと完全になれば、よりよい仕事ができるのにと歯痒く思うことは少なくない。だが無理は禁物だ。周囲も配慮してくれるし、長く仕事を休むことになれば却って周りに迷惑を掛けることになる。まさに、ほどほどに、という按配だ。

 確かに不便ではある。完治したいと思うし、実際時間が十分に取れるようになったら、薬に頼るだけではなく認知療法など様々な心理療法も試みてみたいと考えている。だが今は仕事があるから十分な時間を取ることができないし、とりあえず仕事には支障がない程度の体調は維持できている。

 病を得ることに何か意義はあるだろうか。「病を得たことで敬虔で優しい人間になれる、神に感謝する」というキリスト教徒の患者が書いたとされる言葉を読んだことがある。そうなのかもしれない。だが凡夫である筆者にはそこまでの悟りは開けていない。いや、やはり凡夫にとって病は苦しいから、ない方がよい。

 医師が上手いことを言った。「(51とは言え)あなたはまだ若い。若いから神経が過敏になることがある。だからこそパニックにもなる。大丈夫、そのうちに加齢と共に(神経が鈍くなり?)パニックにならなくなる。それまでの辛抱だ。」

 なるほど、これが一種の暗示に過ぎないのか、臨床的な事実なのかは知らない。だがこういう言葉は力になる。過大な期待を抱かず、小さな希望を大切にする。たぶんこれが筆者のような人間には一番大事なことなのだろう。



(H18/9/18記)


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