☆ スポーツの美学 ☆


 サッカーワールドカップを観ていると、スポーツの美学の本質が分かったような気になる。

 ブラジルは、ロナウドという稀代のエースストライカーに最後まで敬意を表して、準々決勝でフランスに敗北を喫した。運動量がめっきり落ちた現在のロナウドでは、日本相手ならば2点取れるかもしれないが、フランスのような強豪からは点が取れない。ロナウドに拘ることなく、アドリアーノ、ロビーニョのツートップで、ロナウジーニョを本来のMFで使えばフランスに勝てたかもしれない。いや、あるいはこれもワールドカップで5回というダントツの優勝回数を誇るブラジルも、フランスには勝ったことがないという相性の悪さが、監督を含めてブラジル代表を狂わせたのかもしれない。

 日本は緒戦のオーストラリア戦で終盤守りを固めることなく2点目を取ろうとして、オーストラリアに逆襲され、よもやの3点連取を許し敗北を喫した。そして、この時点で日本の一次リーグ突破の可能性はほぼ消滅した。そのことでジーコ監督は散々マスコミに非難されたが、確かに1点を死守するために守りを固める手もあっただろう。そうすればオーストラリアに勝てたか、少なくとも引分けに持ち込むことができたかもしれない。

 一方、アルゼンチンは準々決勝で1点を守ろうとして、 攻撃の要で、相手チームが最も警戒するリケルメをベンチに下げたことで、守備に余裕が出来たドイツに同点を許し、最後はPK戦で涙をのんだ。守りに入ったのは悪くなかったが、最高の選手リケルメを交代したのは疑問に残る采配で、監督自身が失敗を認めている。相手のドイツの監督もリケルメを交代させたことで「アルゼンチンはドイツに敬意を払っていることが分かった」と皮肉っている。

 思わぬことが起きたり、番狂わせがあったりするからこそ、スポーツは面白い、感動がある。そして、その感動の裏には、人間の弱さが潜んでいる。敗北したチームの監督はより良い策があったのにそれを逃した。選手もまた土壇場で冷静さを欠いた。しかし、そういう人間の弱さ、不完全さこそがスポーツの美しさを形作るものなのだ。


(H18/7/2記)


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