☆ 可能性への眼差しを ☆


 有望企業の買収で市場の注目を集め、株の分割で株を購入しやすくして、株価の上昇を促し事業資金を作り出す。実に上手い方法だ。ライブドアは明らかにやり過ぎだったし、脱法行為は許されない。だが、こういう遣り方自体はけっして悪いことではない。これまでは社会に貢献する良いアイデアを持ち、それを実現する能力もありながら、金もコネもないために夢を実現できないで終わった人間がたくさんいた。だが、これからは違う。金も学歴もコネもなくても、アイデア、能力、挑戦する気概があれば事業を立ち上げ社会に貢献することができる。これまでは大きな夢を実現することができる分野はスポーツ、芸能、芸術、学問などいわゆる文化の領域に限られていたが、ビジネスの分野でもそれが可能になったのだ。

 ところが、経営トップから一介のサラリーマンまで、筆者と同世代並びにその上の世代のおじさん連中は、ライブドア事件の悪しき面ばかりを取り上げて、株価の上昇を促す行為をまるで悪徳商法であるかのように言い立てている。証券取引法違反の罰則強化が検討されているが、こういう新しい可能性を潰してしまわないか心配だ。罰則強化をする前に適切な監視体制を確立することが大切なのに、遣るべきことが違っている。

 一昨年ファイル共有ソフトWinnyの開発者が著作権法違反で逮捕され、現在公判中だが、これも同じような事例に思える。Winnyそれ自体は著作権違反を目的としたものではなく、インターネットで効率よくファイル共有を実現する非常に優れたツールだ。それを開発者の挑発的な言動を過大視して著作権法違反で逮捕・起訴したのは明らかに行き過ぎだった。おかげでソフトイーサなどの例外はあるが、若い能力あるソフトウエア開発者達の意欲を明らかに殺いでしまった。ソフトの世界ではマイクロソフトの独占状態が続いているが、それでも多くの挑戦者がいる。アメリカやヨーロッパだけではなく韓国、中国、インドなどアジア諸国にもたくさんいる。ところが、日本人が能力的に劣るわけではないのに、日本の中枢に座するおじさん連中が頑固で無知なために人材を育て能力を発揮させることができない。できないどころか寧ろ阻害しているのが実情だ。

 著作権の問題にしても、Winnyの開発者は中間マージンをとっている連中を批判していただけで、本当の著作者、作曲家・作詞家、演奏者・演技者、作家などの権利は最大限尊重されるべきだと言っていた。いや、寧ろ著作者を守るために中間マージンを減らそうと提唱していたのだ。実際ネットが普及すれば旧来の仲介業者の役割はどんどん減っていく。iPODの普及とそのインパクトもその実例だろう。それなのに、いまだに日本では、著作者の権利を守ると称して、中間マージンを取っている者たちの既得権を守ろうとしている。その挙げ句に、ソフトの開発者を逮捕・起訴するという事態を招き、日本発の優れたソフトを世界に普及させるという機会を失った。

 自分がそうだからよく分かるが、歳を取ってくると、自分の知識や経験に固執して、自分が理解できないものは何でも排斥しようとする傾向が強くなる。読売の渡辺会長なども首相靖国神社参拝批判などではさすがジャーナリストというところを発揮するが、スポーツやビジネスの話しになると途端に頑迷な守旧派になってしまう。自分が知らないこと、分からないことを理解しようとせず、頭から否定して掛かる。そして、これは渡辺氏に限ったことではなく、50代以降の男性に共通した傾向と言わなくてはならない。

 大企業でも40代の取締役や執行役員が当たり前になり、50そこそこの社長・CEOが珍しくなくなったとは言え、日本社会の中枢に位置しているのは依然として50代から70代前半の世代で、その硬直した姿勢が社会へ与える影響は大きい。しかも、検察、警察、マスコミでも権力を握っているのがこの世代だから、新しいものに対する憎悪がますます拡大再生産されてしまう。実際、Winny開発者が逮捕・起訴されたことをマスコミがほとんど批判していないことは驚くべきことだ。−マスコミも著作権法で利益を得ているからかもしれないが。−ライブドア事件でも、事情をよく知らないということが勿論あるが、海外の報道は堀江氏に同情的で、事件を日本の旧態依然の体質が改善されていない証拠だという論調が多い。

 新しいものへの反感、そこには自分が時代から取り残されていくという恐怖感がある。だから新しいものを拒絶して自分の既得権益を守ろうと躍起になる。その結果、株取引や株式市場を通じた資金調達や新しいソフトウエアに対する言われない反感が醸成され、新しく生まれた未来への可能性が台無しにされてしまう。だが、言うまでもなく、それでは駄目だ。少子高齢化社会が到来する今こそ、新しいものを肯定的に捉え、それに挑戦する者を援助するのが、我らが世代から上の者の使命と考えなくてはいけない。いや、援助するだけではなく、自分で挑戦したってよい。伊能忠敬が家督を長男に譲り、江戸に出て年下の学者高橋至時に師事して勉学を始めたのは50歳のときだった。当時の50と言えば今なら60過ぎに相当するだろう。その歳になってから忠敬は全く新しい世界に飛び込み立派な業績を残した。むろん普通の人間が伊能忠敬に簡単になれるわけはない。新しいものが何でも良いわけでもない。だが、幾つになっても新しい世界は開かれている。自分で自分に限界を定める必要はない。少なくとも、よく見ることもせずに新しいものを拒絶し、既得権益にしがみつくことだけは止めた方がよい。さもないと日本の社会が衰退して結局自分自身が困ることになる。


(H18/2/17記)


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