☆ 雑音が役立っているのかも ☆


 通信路の信号と雑音の比は雑音が少なければ少ないほど、情報の品質が良くなるので好ましいとされる。ところが、いつでも雑音は悪者かと言うと、必ずしもそうではない。適当な雑音、たとえば白色雑音を物理的な系に加えることで、信号が増幅されて却って情報の質が良くなるなどということもあるから、自然は面白い。

 だが、こういうことは自然だけではなく社会にも存在するのではないだろうか。共産主義が元気だった頃、市場経済と計画経済とどちらが良いかという議論があった。一見すると、すべてが理路整然と準備され遂行される計画経済の方が、自由競争で複数の企業が思惑で生産や販売を行なう市場経済よりも効率がよく、無駄も少なくて済むように思える。だが、歴史の教訓は寧ろ逆であることを示している。ソ連・東欧の共産圏が崩壊したのは、経済的な理由だけではなくその独裁的な政治体制にも大きな原因があるが、計画経済が破綻したことが最大の原因だろう。中国は共産党の一党独裁が続いているが、市場経済を取り入れることで目覚しい経済発展に成功して安定した社会を築き上げている。どうやら市場経済の方が計画経済よりも上手く機能するらしい。

 もちろん、昨今の市場経済では「小さい政府」などという合言葉が良く聞かれるとは言え、政府や中央銀行、地方自治体の役割は極めて大きく、それなしには市場は上手く機能しない。なんでもかんでも民営化・自由化したら市場は破綻する。だから市場経済が計画経済より優れていると言うよりも、両者のよいところを取り入れることが必要なのだという意見もあろう。だが、総じて言えば、私たちが暮らしている世界は市場経済であり、計画経済的な組織や制度はそれを補助するものに留まっていると言ってよいだろう。少なくとも完全な計画経済が上手く機能しないのは事実だ。

 どうしてそうなのだろうか。計画経済では雑音は小さく、市場経済では雑音が大きい。しかし、おそらく、経済というシステムでも、この雑音が信号を適切に増幅することに寄与しているのだと思われる。この雑音とは消費者の声、ベンチャーの試み、ときには恣意的とも言える政府や自治体、銀行の介在などであり、それは白色雑音に近いようなものだと言える。だが、正に、この雑音が意味のある信号を増幅して、生産・流通・消費の過程を円滑に進めることに寄与しているのではないだろうか。それに較べて計画経済では信号を増幅するような雑音は存在しない。かと言って雑音が全く存在しないかと言えば存在する。雑音が存在しない系は自然界には存在しないように、社会にも存在しない。予測不可能な事故、不満を持つ国民の声、間違った計画立案、政府の不正、天変地異など様々な雑音がシステムに不可避的に紛れ込んでくる。その結果、計画経済ではしばしば信号が雑音に掻き消されてしまい、有益で効率のよい生産・流通・消費が不可能になる。

 もとより、こんな考え方は単なる当て推量に過ぎない。だが、私たちは雑音の存在に苛立ち、しばしばそれを抑圧しようとするが、雑音は実は役立っているのかもしれない。お隣の家の赤ん坊の泣き声は煩くてときとして苛々するが、深呼吸して首をグルグルとまわしていると、泣き声が命の躍動を象徴し創作意欲を生み出してくれる。なんてことだってあるのだ。


(H18/1/8記)


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