貨幣は古代から人々を幻惑し続けてきた。欲望を刺激するだけではなく、偉大な思想家の頭も貨幣で混乱させられた。アリストテレス、マルクス、ジンメルなど無数の偉大な思想家達が貨幣の謎に挑戦し挫折した。彼らは謎を解いたと宣言したが、あとからみれば貨幣の表面に引っかき傷をつけることすらできていない。依然として貨幣は、誰もその謎を解明することなく、人々の頭と身体を支配している。 このところ急落しているが、楽天の株式時価総額は8千9百億円(11月11日現在)に達している。連結売上高450億円、総資産3千億円、営業利益率こそ30%を越し高いが、当期(16年度)利益はマイナス、どうして時価総額が9千億円近くまでいくのか、旧人類にはとんと理解できない。楽天だけではない。ヤフーは売上1千2百億円、総資産1千3百億、営業利益率50%超と、楽天より遥かに財務体質が優良だが、それでも株式時価総額が3.9兆円というのは、幾らなんでも高すぎではなかろうか。こういう数字を眺めていると頭がくらくらする。ITの進歩と普及で、貨幣の神秘は解消されるどころか益々深まっている。徹底した実用主義者である現代の経済学者は貨幣の謎など気にも留めないだろうが、無視してよい問題ではない。 貨幣の神秘は、貨幣が本質的に数であることに基づくと思われる。ピタゴラスに代表されるように、人は古代から数に魅了されてきた。長い間、数は神秘的な力を有して、人と世界を支配すると信じられてきた。もちろん、実用主義的な現代では、まともに数を信奉する者などほとんどいない。それでも、数に何か特別なものを感じる人は少なくない。理論物理学の最先端理論で万物の究極理論とされる超弦理論とM理論では、10と26という数が特別な意味を持つ。 数が貨幣の量を便宜的に表現するのではなく、貨幣が数を代表して社会で流通しているのだ。数が始源で貨幣は数の代理に過ぎない。貨幣に対する欲望が、商品に対する欲望と異なり無制限なのは、それが本質的に数だからだろう。ITとネットの普及で、貨幣は益々その物質性を喪失し、単なる数へと縮退している。将来は、「貨幣」とは特別な使用目的を持つ数を表現する言葉に過ぎなくなるだろう。そして貨幣への欲望も止まることをしらない。 だが、こう言ったところで、肝心の数の神秘に対して私たちは何の解答も用意できていない。もしかしたら数とは神なのかもしれない。近代以降人間は傲慢になり、神は死んだなどと宣言するに至ったが、所詮お釈迦様の掌の中から抜けられぬ。不可解な株価や為替の動きに一喜一憂している人間をみて、神様は、人間の愚かさをお笑いになっているのだろう。神様が人間の愚かさに寛容であるとよいのだが。お怒りになり新型ウィルスで人類を滅ぼすと決意されないことをお祈りしよう。 了
|