真夏の正午、食事をするところを探していたら、繁盛していてなかなか美味そうな中華の店が目に入った。店に入りメニューを持ってきてもらう。ラーメン・餃子・生ビールの餃子セットが1350円、一寸昼食には高い感じがしないでもないが、ビールがついてこの値段だ、悪くない、早速注文する。餃子もラーメンも美味く満足した。勘定を済ませて店を出ようとしたときに、メニューを見て思わぬことに気がついた。ラーメンが単品で500円、餃子一皿が300円、生ビールが550円、単品で三品注文しても、セットで注文しても、同じ1350円なのだ。セットだったら安くするのが普通だろうと文句を言おうかと思ったが堪えて、それとなく「三品別々に頼んでも金額は同じだね。」と店員に尋ねてみた。そうしたら店員は涼しい顔で返事をする。「ええ、そうです。三品を注文するお客さんが多いので、お客さまの手間を減らそうと思ってセットメニューを作ったのです。一々、ラーメン、餃子、生ビールと分けて注文しなくてもよいから便利でしょう。」 偶然、知人の弁護士に出会ったので「これは法的には詐欺にあたるのではないか。」と尋ねてみた。「メニューに、「お得なセット」とか書いてあったか。」、「記憶が定かでないが、そうは書いてなかったと思う。」、「だったら文句は言えないな。本やDVDは、セットになった全集の料金が単品で揃えたときと変わらないのが普通だ。」 プラトン全集全XX巻セットの料金は、各巻を別々に購入したときと変わらない。先日買おうかどうしようか散々迷った5枚組みDVDからなるDVD−BOXの料金も単体の料金を足した金額と変わらなかった。確かに、本やDVDはセットでも単品でも料金が変わらないのが普通だ。 しかし、本やDVDでは料金が同じでもセットには価値がある。全集を残らず揃えたいという場合にセットならば確実に手に入るからだ。小説や連続ドラマでは、特定の巻が欠けていたのでは意味がないことが多い。「戦争と平和」全4巻のうち、2巻が手に入らないのでは、残りを購入する気にはならないだろう。連続テレビドラマのDVDもセットで揃っていないと価値が半減する。古書店やリサイクルショップで本やDVDを売却するときも、全集で揃っているかどうかで引き取り価格が全然違ってくる。 だが、料理のメニューは違う。餃子・ラーメン・生ビールがセットで揃っている必要はなく、餃子・レバニラ炒め・ハイサワーでも一向に構わない。セットやコース料理は単品よりも料金が安くなるからこそ意味がある。 こう考えて、法的に問題だとまでは言えないとしても、道義的に問題があるのではないかと弁護士に問い質したところ、やんわりと否定された。 「それはどうかな。餃子、ラーメン、ビールをそれぞれ単品で頼むとする。ビールが先に出てきて、君はそれに口をつけたとしよう。ビールが先に出てくるのはごく普通だから、その点に文句はないだろう。そのとき店員が君のところに来て「すみません、餃子は売り切れです」と言ったらどうする。君の嗜好から言って、ラーメンだけではビールのつまみにはならない、餃子があればこそのビールだ、餃子がないならビールを注文しなかった、ということになるだろう。だが君はビールに口を付けている。そこで注文をキャンセルしても君はビール代を払わないといけない。しかし、セットならば、餃子がないと言われた時点でビールに口をつけていたとしても、店側がセットを提供できないのだから、君は注文をキャンセルしてもビール代を払う必要がない。君はただでビールを飲むことができたわけだ。だから、料金が同じではセットメニューに意味がないと断定することはできないと思う。」 結局、セットメニューは単品よりも安いという常識には何の根拠も法的強制力もないことが判明した。それにしても、常識を逆手にとって−「逆手にとる」は哲学業界では「脱構築」と呼ばれる−、たくさん飲み食いさせるこの店の主人の才覚はたいしたものだ。おそらくポストモダニズムの哲学に通暁していると思われる。日頃何の役にも立たないと思われている哲学も思わぬところで役に立つものだ。 了
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