「違和感を感じる」という表現をよく使ってしまう。我が友人でエッセイの達人?森有人から先日受け取ったメールにも同じ表現がある。気になって、ヤフーやグーグルでこの言葉を検索してみると数十万のページがヒットする。どうやら筆者に限らず多くの日本人がこの表現を使用しているらしい。 しかし、この表現はおかしいと注意される。これは「頭痛が痛む」や「頭が頭痛する」と同じ重ね言葉だと。「違和感」はある種の感覚を意味しているのだから、そこにはすでに「感じる」という意味が含まれている。だから、確かに無駄な重複があると認めなくてはならない。とは言え「違和感を感じる」という表現には何も違和感がない。筆者以外にも、そういう人が多いのではないだろうか。 「犯罪を犯す」という表現もよく使う。しかし、これも重ね言葉になる。「犯罪」は「罪を犯す」ことを意味しているから、この表現は「罪を犯すことを犯す」に等しい。これは明らかに不適切な表現と言わねばなるまい。とは言え、では、どう表現すればよいのか、よく分からない。「犯罪を実行する」という表現はどうも堅苦しい感じがして、今ひとつ馴染まない。筆者が「犯罪を犯す」と書くとき、それが意味しているものは「罪を犯す」という表現が意味するものと些か異なる。「罪を犯す」は「疚しいことをする」という心の問題を意味しているのに対して、「犯罪を犯す」は、明文化された法に違反する行為をしたという意味合いを持たせている。実際、他人の文章を読んでも、そういう意味合いで「罪を犯す」と「犯罪を犯す」という表現を使い分けている場合が多いと感じられる。 これらの表現は論理的に考えると確かにおかしい。だが、言葉の使い方は、論理の問題ではなく、感覚や感情の問題のように思える。だとすれば、これらの表現に違和感がない日本人が増えているならば、これでもよいと思われるが、如何なものか。 ところで、愛国教育を重視される方々や新しい歴史教科書をお作りになろうという方々は、もちろん「違和感を感じる」とか「犯罪を犯す」などという乱れた日本語の使用には反対するだろう。こういう拙い日本語が氾濫しているのは紛れもなく国を愛することを忘れた戦後教育の所為なのですから。 了
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