☆ 科学技術の進歩と芸術 ☆


 刑事コロンボのDVDボックス(全45話完全収録、DVD全22枚)が発売されたので早速購入した。価格は2万円台半ばで安いとは言えないが、DVD1枚当たり千円程度というのはびっくりするほど安い。全45話をすべて見終わるのに60時間くらい掛かり、3週間くらいはたっぷり楽しめるからお買い得だ。他の人気シリーズもこういう調子でお願いしたい。とにかく全体に高すぎて手が出ない。

 まだ最初の10作程度しか見ていないが、内容には大満足だ。最初に放映されてから30年以上も経つのにちっとも古くなっていない。すでになくなっている俳優さんもいるが、現代劇として完全に通用する。日本の人気シリーズ古畑任三郎はコロンボのパクリではないかと思っていたが、やはりそうだということを再確認した。もちろん古畑任三郎というキャラクターもストーリーもトリックもすべてオリジナルで、盗作ではまったくないのだが、コロンボが存在しなければ古畑も存在しなかったことだけは間違いない。

 とは言え、やはり月日の隔たりは隠せない。ITとネットが普及した現代だったら成立しないトリックがかなりある。初期の作品では電話機もまだダイヤル式で、もちろん、発信者番号通知機能、携帯電話や電子メールは登場しない。今ならば、当然、犯行には電話だけではなく携帯電話やメールが使用されるだろう。発信元の確認も今では簡単に出来る。−発信電話番号の偽装などそれを上回る手口もあるのだが。−犯行の手口も捜査方法も今なら違ったものとなる。

 マルクスは、「経済学批判」の序説と記された遺稿のなかで、古代ギリシャの物語を評して、未だにそれを凌ぐものがないと高く評価している。そして、その芸術は古代ギリシャという産業や科学技術の発展が低い段階だからこそ生まれたもので、(マルクスにとっての)現代−19世紀半ば−では、同じものを書くことは出来ないと診断した。だが、では歴史的に古い時代、生産力などの社会的水準が低い段階に生まれた芸術がなぜ未だに最高のものとして存在しているか、それが難題だとマルクスは自問する。マルクスの答えは、「大人は子供に戻れない、しかし子供の無邪気さは大人を喜ばす」という(ある意味)極めて月並みなものだった。

 しかし、マルクスの結論は結局のところ正しかったのではないだろうか。ITやネット、DNA鑑定が普及した現代、コロンボ警部のような名探偵が活躍して、犯人が仕組んだ巧妙なトリックを暴くというストーリー作りは難しくなっている。全体的に、最近のミステリーは、人間ドラマの色彩が強く、名探偵と頭脳明晰な犯人との知的な雰囲気の中での緊迫した対決や謎解きを楽しむことはできなくなった。NHKのアニメで、アガサ・クリスティの「名探偵ポアロとマープル」が放映されているが、クリスティのような優れたミステリーは二度と生まれてこないだろう。

 科学技術の進歩や産業の発達・拡大は、全般的には、社会によい影響を与えると言ってよい。映画やSF、さらにはコンピュータなど最新機器を使った音楽や映像作りなど新しい芸術を生み出すことにもなる。だが、芸術の量的拡大は生み出しても、その質的向上にも寄与するのかというと、疑問と言わなくてはなるまい。寧ろ逆ではなかろうか。大人は絶対に子供には戻れない。マルクスは、子供の自由な発想と感性を、大人たちはより高い次元で再生産するべきだと忠告してメモを結んでいるが、それはおそらく不可能だ。子供時代の感激、その清新な目は二度と戻ってくることはない。現代人は、量が拡大する一方で、中身が薄い芸術で我慢しなくてはならない運命にある。

 だから、刑事コロンボのDVDやクリスティの推理小説で今宵も大いに楽しむことにしよう。


(H17/5/2記)


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