☆ 大局観を養う ☆


 将棋や囲碁のコンピュータソフトは近年急激に強くなっていて、筆者のような素人では勝つことが難しい。だが、まだまだプロ棋士に勝つところまでには至っていない。

 指し手は限られているのだから、すべての手順を計算して最善の手を見つけることは、超高速のコンピュータならば容易なことではないか、こんな風に考えられるかもしれないが、そうは問屋が卸さない。一つの局面で選択可能な手は数十手あり、それぞれの手に対して相手側の手が数十手ある。これが100手も続くのだから、如何に高速のコンピュータでも計算しつくすことはできない。だから、精々10手くらい先まで読んで、そこでどの手が一番良いかを判断するしかない。

 ここで状況判断が難しい。どの局面が一番有利か、それを判断する規準を単純な数式で表現することはできない。プロの棋士は、その研ぎ澄まされた感覚と経験から、この局面は互角、有利、不利などと判断して、指す手を選択する。これが大局観というものだ。

 優れた棋士ほど大局観が優れている。コンピュータは読みの正確さでは名人を凌ぐが、大局観では名人にはとうてい敵わない。だから勝てない。

 指し手が有限の数に限られている将棋や囲碁ですら、数学的・論理的な手続きだけでは一番良い指し手を選択することはできない。だから、選択肢が無数に存在する現実の社会生活で最良の手段を選択することは困難を極める。コンピュータの計算結果は大いに参考になるが、コンピュータに国家戦略や経営戦略を任せるわけにはいかない。ここでは、将棋や囲碁の対局以上に大局観が大事になる。

 ところで、今の日本で、政治、経済、文化、言論、報道の分野で重要な責務を担っている人たちは大局観が優れていると言えるだろうか。どうも心許ない。小泉首相が就任以来改革に取り組み、金融問題などで一定の成果を挙げたことを認めるのは吝かではないが、国民の期待に応えたとは言い難い。小泉首相の政治姿勢とか誠実さに問題ありと言うのではなく、大局観に難点ありと感じる。北朝鮮との関係でも、拉致を認めさせたのは前進だったが、その後、一向に事態が改善されない。中国や韓国との関係もうまくいっていない。郵政改革でも、不公平な既得権益の最たるものである現行の特定郵便局制度の改革に繋がるという面では評価できるが、民営化のデメリット、民業への影響などが十分に吟味されていない。靖国参拝同様、公約だからと自分の考えに固執しているだけではないか。「君子は豹変する」、国の長たる者、ときには人から変節漢だと罵られても、何が国民の利益になるかを正しく認識して実行できなくてはならない。

 海老沢前NHK会長、堤前コクド会長、日枝フジテレビ会長、堀江ライブドア社長、彼らが大局観に優れているとは思えない。メディアに話題を提供しているだけで、社会の役に立っていない。それどころか自分自身の利益にもなっていない。身の処し方に問題があると言うより、やはり大局観に問題がある。

 報道言論界も同じようなものだ。国内・国際情勢の変化、ITやバイオなど新しい産業の興隆による日常生活と産業活動の変化など、新しい潮流に対応できていない。新聞各社とも、数十年前からの政治的・思想的スタンスを維持し、その正当化に躍起になるだけで、新しい時代の新しい思想を生み出す力を感じ取ることができない。文化人とか言論人と呼ばれる人たちも同じで、自分の殻を打ち破ることができない。

 依然として男性優位が続く日本社会の現実を皮相的に捉えて、「女性の社会進出こそが日本を救う」などという表現を至るところで目にするが、こういうステレオタイプ的な思考方法・表現方法こそが大局観の欠如を示している。女性の社会進出には大いに賛成だし、それが変化への原動力となる可能性も認める。だが、それだけでは既得権益が男性独占から男女のエリートによる独占へと変わるだけで問題解決には繋がらない。問題の本質を見抜き、適切な解決策を示すことができなければ、社会は変わらない。

 どうすれば優れた大局観を有する政治家、経営者、言論人が育つのだろうか。いや、無いもの強請りをしても無駄だ。社長は社員のなれの果てという言葉がある。企業のトップはスーパーマンではなく、普通の優秀な社員の延長線上に位置する一人の人間でしかない。政治家、言論人、教員者、皆同じだ。私たちは、他人に期待するだけでは駄目だということに気がつかなくてはならない。

 それが民主制の特徴なのだ。民主制はリーダーに頼るのではなく、各人が自分で正しく物を見る目を養うことが要求される社会制度だ。それができなければ民主制は衆愚制に陥る。

 国民一人一人が大局観を養う訓練をすることが大切だ。国民が向上すれば、組織の長の水準も高くなる。組織の長がそれに相応しい人物でなければ速やかに交代させることができる仕組みも確立するだろう。幸いなことに、ITの普及で情報は格段に入手しやすくなり、自分の意見を表明する機会も増えた。

 ただ、残念ながら、掲示板やブログの書き込みを見る限りでは、現状は惨憺たるものと言わなくてはならない。他人を罵倒して憂さ晴らしをするような文言ばかりで、真摯で有益な討議は見当たらない。

 大衆の自発的な向上は極めて困難で、まずは国民をリードしていく優れた政党や言論人・言論機関が必要なようだ。かつてのレーニン主義者のように社会の抜本的な改革には大衆を指導する前衛党が不可欠だとまでは言わないが、メディアや政党の責務は依然として重い。心して課題と取り組んでもらいたい。


(H17/3/5記)


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