☆ ゴジラとラドン ☆


 怪獣映画の草分け、初代「ゴジラ」(昭和29年公開)と「空の大怪獣ラドン」(昭和31年公開)はどちらもとても悲しい物語だ。

 ゴジラもラドンも、身勝手な人間が生み出した怪獣だ。水爆実験で変異して怪物になったゴジラ、人間の無謀な自然破壊で古代の地層から巨大化して蘇ったラドン、どちらも人間の被害者だ。それなのに、人間は自分たちの行為を反省するどころか、ひたすら彼らを憎み抹殺することに狂奔する。ゴジラの山根博士、ラドンの地震学者だけが抹殺に反対するが、奴らが生きている限り安心して暮らすことはできないという圧倒的多数の声の前に沈黙を余儀なくされる。

 ゴジラの最終幕では、人類の幸福を願って研究を続けてきた高潔なる天才科学者芹沢博士が、自分の発明が為政者たちに悪用されることを防ぐために、ゴジラの最後を見届けながら、海底深く自らの命を絶つ。船上から必至になって呼びかける友人であり恋敵でもあった緒方への最後の言葉が痛ましい。「緒方、大成功だ。幸福に暮らせよ。さようなら、さようなら。」

 ラドンはゴジラのように強くない。ゴジラは自衛隊の攻撃など物ともせず、強烈な放射線を吐く無敵の怪獣王だが、二匹のラドンは航空自衛隊の攻撃の前に幾度と無く力尽きそうになりながら、やっとのことで阿蘇山の噴火口近くの巣まで逃げ帰る。ラドンの巣に向かって打ち込まれるミサイルの嵐、阿蘇の大噴火の中、力尽きた仲間を助けようとして自ら火口へと降り立ち、共に焼け死んでしまうラドン。その姿は迫害され続けて滅んでしまった小さな部族の悲運を髣髴とさせる。

 初代のゴジラもラドンも、所謂B級の怪獣映画に過ぎないかもしれない。しかし、アメリカ映画のキングコングと共に、これほど、人間の傲慢、身勝手さ、愚かさを示してくれる映画は数少ない。自然破壊と人間の勝手極まりない行為が続く今、二つの映画の価値は少しも薄れていない。時間があったら、子供たちと一緒に観賞してはいかがだろうか。筆者の趣味から言えば、現在公開中の最終話(と銘打った)「ゴジラ FINAL WARS」より遥かに面白いと思うのだが。


(H16/12/10記)


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