☆ デリダ氏の逝去 ☆


 フランスの哲学者、ポストモダニズムの立役者ジャック・デリダ氏が9日亡くなった。享年74歳、早すぎる逝去だった。

 デリダの最大の業績は、批評が如何に難しいかを身を以って示したことだろう。小泉首相を批判する人は多い。だが、批判することで却って小泉氏を引き立ててしまうという面がある。少なくとも首相が仕事をしていることを人々にPRする効果はある。別の選択肢が存在しない中、良くも悪くも仕事をしていることを示すことは人々の根強い小泉信仰を再生産する。読売の渡辺会長にも同じことが言えるだろう。批評は意図したことと反対の効果を生み出す。

 批評そのものがその反対物を含むことがある。−「批評そのもの」という表現がデリダに言わせれば硬直した思考方法を示すものということになろうが−いや、ある意味必然的に含んでしまうとも言える。アンチ巨人も巨人ファンのうちと巨人ファンはよく言うが、一面の真理ではある。批判的論評が盲目的賞賛を孕んでしまうことがある。

 1970年代半ばまで、マルクス主義的体制批判が、批評の一つの典型をなしてきた。しかし、文化大革命の4人組やポルポトを筆頭としたマルクス主義を名乗る者たちの反人権・反人道的行為がマルクス主義批評への疑念を深めることとなる。圧倒的な現実を前に「あれは本当の共産主義ではない。」などと叫んでも虚しい。本当の共産主義などどこにもないからだ。左翼的批評家は、新しい批評の在りかたを模索せざるを得なくなる。だが、良い方法は見つからない。批評そのものが必然的に孕む性質が行く手を阻むからだ。

 そこで、デリダはより良い批評の枠組み・方法を探るのではなく、批評そのものを批評することで事態を打開しようと試みた。もとより批評を批評することも批評であり、その批評自身が批評されなくてはならないという隘路に陥ることになる。だが、正にこの隘路の中で書き続けることが、批評の限界を超えていく唯一の道だとデリダは考える。絶え間ない批評の連続、終着点なき道を蛇行しながら無限に進んでいく批評、この無限の脱構築運動の中にだけ光は見えてくる。デリダはそう主張する。

 批評の難しさとは、単に批評という言論人の仕事の世界に留まる事柄ではない。批評の難しさは体制を変革することの難しさを意味する。多くの欠陥を孕みながら、それを巧妙に隠蔽し補強していく現代の資本主義体制を如何に変革するのか、それは極めて困難な課題であり、批評の困難はそのことと分かち難く結びついている。

 だから、批評の困難を超える新しい道を模索するデリダ的な試みは必然的に政治的なものとなる。デリダは、そのことを自覚した上で、新しい道を切り開こうとする。モダニズムの枠組み−マルクス主義もそこに属する−を維持して、その中で改革を試みる者に対して、デリダはその不可能性を論じ、新しい回路の必要性と可能性を示唆する。−だから、デリダの思想はポストモダニズムと呼ばれる。−

 デリダの試みが成功したかどうかは分からない。モダニズムの観点から、伝統的な批評の精神を公共的な場で徹底することで事態が打開できると考えるハーバーマスは、デリダの試みを、合理性を放棄して蒙昧に道を譲るものだとして厳しく批判した。デリダの言説は、レトリックの過剰と論理の無視で読むに耐えない、このような難渋な語りに政治的改革の可能性をみることはできないと批判する人も少なくない。デリダの思想は、Aは非Aであるというヘーゲル的弁証法の現代版に過ぎないと批判する人もいる。事実、これらの批判には一理ある。

 しかしながら、17世紀以来無数の人々が関与してきたモダニズムというプロジェクトの跡を顧みるとき、このプロジェクトの延長線上にすべての解決策が存在しているとは思えない。補完的な位置に留まるかもしれないが、新しい回路は不可欠だろう。
 文革やポルポトの改革が最悪の反対物に堕したこと、良心的と言われたチョムスキーや小田実のような知識人が能天気に文革やポルポトを擁護したことも忘れるわけにはいかない。これらの事実はモダニズム批評だけでは不十分であることを強く示唆する。

 だから、デリダの試みや主張がどんなに多くの難点・欠陥を持っていようと、その問題意識と試みの重要性が失われることはない。

 多様で忙しない現代に生きる人々が、難解なデリダの本を読む必要はない。だが、批評を試みる者は、デリダの精神を忘れてはならない。デリダの精神を忘れるとき、批評家は批判しているつもりで提灯記事を書いているという茶番を繰り返すことになる。

 デリダ氏の冥福を心からお祈りする。そして、デリダ氏の良き後継者達が世界で広く育つことを期待したい。


(H16/10/10記)


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