停止しているエスカレータは、階段と同じはずなのだが、ずっと歩き難く感じる。こういう経験をした人は少なくないだろう。 人は、無意識のうちに未来をイメージして行動している。エスカレータをみると、自動的に動いているエスカレータをイメージするようになっている。それなのに現実のエスカレータが動いていないから戸惑うことになる。 プロのスポーツ選手は、まるで予知能力があるかのようにプレーする。あれは、訓練の積み重ねで、先行的に未来を描き出す能力が身に付いているからできる。 コンピュータが人間より処理速度で遥かに優るのに、単純な計算を除けば、人間に遠く及ばないのは、この未来を先行的に描き出す能力をコンピュータで実現することが難しいからだ。今のコンピュータは、基本的に、各時点での内部状態と外部情報を基にして次の行動を決定する。コンピュータには、人間のような広がりを持つ現象学的な時間を把握する能力がないと言ってもよい。そのために、人間のように柔軟で、ファジーな状況でも精度の高い行動を取ることができない。 だが、描き出された未来のイメージが不適切なこともある。停止しているエスカレータを昇り辛く感じるのが、その例の一つだ。プロ選手が信じられないような失策をやることがあるが、たぶん先行的に描かれた未来のイメージが現実に適合しなかったのだろう。コンピュータにはこういうミスや不適合はない。 人は、次のプレーの選択というような瞬時の判断だけではなく、長期的にも未来をイメージして生活している。それは、ほとんどの場合意識されることはないが、行動に決定的な影響を与える。 もしかしたら、イラク開戦を決意したブッシュ大統領の頭には、本人は意識していなかったにも拘らず、イラクから攻撃を受けるという未来のイメージがあったのかもしれない。反米のテロリストの頭には、いつも、アメリカから攻撃を受け自分や仲間が殺される情景がイメージされているのかもしれない。 未来を先行的に描き出す能力は、人間がコンピュータを凌ぐ力を発揮する源だ。だが、描き出されたイメージが事実に反することもある。そして、事実に反するイメージに基づき自分の信念が形成されることもある。 だから、私たちは、自分の信念とその根拠を反省することを忘れてはならない。そこには、無意識のうちに歪んだ未来像が存在しているかもしれないのだ。 了
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