20世紀を代表する作家フランツ・カフカが亡くなってから今年6月で80年になる。今でも、カフカの価値は少しも薄れていない。 「変身」の主人公グレゴール・ザムザは、虫に変身した朝、虫になったことより出勤時間に間に合わないことを気にする。この状況は資本主義社会の抑圧された労働者を象徴していると解釈されることがある。この解釈が妥当かどうかは別として、おそらく現代人の多くが、グレゴールと同じ状況に置かれたら、真っ先に「体調が悪いので今日は休む」と会社に連絡することが頭に浮かぶだろう。そして、使い慣れた携帯電話が手許に見当たらなければ、それを躍起になって探すだろう。人間は社会を支配するある種の慣性法則に従って生きている。 グレゴールが一番愛していた妹が、「こんな奴を兄さんだと思うからいけないのよ。本当の兄さんなら家族に迷惑を掛けないように、とっくに家を出て行っているわ。」と泣け叫ぶ場面がある。一家のために身を粉にして働いてきたグレゴールに対して余りにも残酷な言葉だが、虫になった者の世話など、家族と言えど、いつまでも出来るものではない。 グレゴールの死後、一家が揃って外出する場面で物語は終わるが、そこには重荷をおろした者たちの安堵感が漂っている。家族の絆にも限界がある。 優れた文学は、学問とは異なる遣り方で真理を明るみに出す。カフカの小説がいかに不可解にみえても、そこには真理の光が輝いている。 今年は、「世界の中心で愛を叫ぶ」、「蹴りたい背中」などミリオンセラーが続いている。だが、そこからは、巧みなレトリックや抜け目のないビジネス戦略を感じ取ることはできても、真理が見えてこない。 永遠を憧れながら、有限の時を生きるしかない人間は、苦悩と悲しみから逃れられない。そんな人間に本当に必要なものはメガヒットではなく、幾世代にも亘って語り継がれる真理だ。 私たちは、カフカより幸せな時代に生きているかもしれないが、真理が必要であることに変わりはない。目先の面白さや奇抜さではなく、カフカのような普遍的な真理を描き出す作家の登場が望まれる。 了
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