ウィトゲンシュタインの「哲学的探究」は、遺稿管理人(R.リース、N.マルコム、V.ウリクトの三名)がウィトゲンシュタインの死後、遺稿を纏めて発行した著作である。 そこには、哲学書特有の難解な用語や表現は一切出てこない。難解な哲学的用語や表現は意味がないというのがウィトゲンシュタインの考えだったから当然のことと言える。 それでも、この著作は難解だと言われている。それは、ウィトゲンシュタインが何を言おうとしているか、なぜ、このようなことをくどくどと議論しなくてはならないのか、それを理解することが容易ではないからだ。 ウィトゲンシュタイン自身が自分の著作を評して、こう言っている。「私の本は、私と同じ問題を考えたことがある人だけが理解できるだろう。」と。ウィトゲンシュタインと同じ問題意識を持ち、それを考え抜いた人、その人だけがウィトゲンシュタインの探究を本当に理解することができる。 だが、諦める必要はない。ウィトゲンシュタインと共に、私たちは考えることを始めることができる。言葉の意味とは何か、言葉はどのように使用されているのか、規則とは何か、私的な言語は可能か、感覚とは何か、知識とは何か、こういう問題をウィトゲンシュタインの探究を指南書として考えていくことが出来る。 ウィトゲンシュタインは「自分の本は、人が考えることを省くことができるようにするためのものではなく、考えることを励ますためのものである。」と述べている。ウィトゲンシュタインの考えに私たちは同意する必要はない。大いに疑問を抱き、批判をして、間違いを指摘すればよい。それこそが、ウィトゲンシュタインの望むところなのだ。ドグマは考える者の最大の敵だ。 誰もがウィトゲンシュタインの「哲学的探究」を読まなければならないわけではない。読む必要などない。だが、一つ確実に言えることがある。読む必要はないが、読みそして真剣に考えることができれば、読者にとって、それは限りなく有益であるということだ。 了
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