☆ AIは天才になれるか ☆

井出 薫

 アインシュタインはニュートンの絶対時間と絶対空間を否定し、相対性理論を築いた。絶対時間とは宇宙時0時(0時を何時にするかは自由、宇宙誕生時としても、現在としてもよい)に場所AとBで、それぞれ事象A1とB1が発生したとする。つまりA1とB1は同時に起きたことになる。ニュートンの絶対時間の理論では、どの慣性系でもA1とB1は同時に起きたことになる。さらに場所AとBの距離はどの慣性系でも同じになる。これが絶対空間だ。このニュートンの理論は誰もが常識的に正しいと考える。イマニエル・カントすらも絶対時間と絶対空間を正しいと考えた。ただしカントは絶対時間と絶対空間を自然そのものの客観的な性質ではなく人間の感性的直観の形式と解釈した。いずれにしろアインシュタインはこの常識が正しくないことを見抜いた。

 AIの進化は目覚ましい。そのうちAIが数学の未解決問題を解き、物理学の新理論を発見するようになると考える者もいる。物理法則は観測と実験データを最も合理的に説明する理論的モデル・道具と考えられている。だとすると、大量の観測と実験のデータを学習させることで、AIが物理法則を発見することができることになる。だが、ニュートンの絶対時間と絶対空間という一見自明に思える理論的モデル・道具を実験と観測データを大量に集めることで否定することができるだろうか。

 データを幾ら大量に集めても、絶対時間や絶対空間という思考の枠組みを変えることはできない。絶対時間と絶対空間という枠組みを維持したままですべてのデータを合理的に説明できる理論的モデル・道具を作ることができる。幾ら大量のデータを集めても、データ量は有限で、それらすべてのデータを説明できる理論的モデル・道具は無数に存在する。正しい理論を作るには、その中から適切な理論的モデル・道具を選び出さなければならない。しかし普遍的に使用可能な選択の基準は存在しない。アインシュタインの天才は、大量のデータを説明できる理論を作ったことにあるのではない。絶対時間と絶対空間というカントですら自明だと信じていた理論的な枠組みを根底から覆したことにある。

 現在の生成AIなどではアインシュタインのような革命的な思想を生み出すことはできない。トーマス・クーン流に言えば生成AIにはパラダイム変換を引き起こす力はない。 しかしこの考えには批判がある。コペルニクス以前の天動説でもすべての星の運動を正確に説明できる理論的モデル・道具を作ることができる。しかし地動説の方が遥かに簡潔に説明できる。天動説では新しいデータが登場するたびに新たなパラメータの導入が必要になったりする。しかし、それでは未知の現象を予測する能力は著しく減退する。それゆえ理論的モデル・道具は可能な限り簡潔であることが望ましい。そこで新しいデータが出るたびに新たなパラメータを導入しなくてはならないような理論的モデル・道具は正しくないということをAIに学習させれば、アインシュタインのような革命的な思想を生み出せるのではないだろうか。そうなればAIがアインシュタイン以前の物理学の理論と実験、観測データの全てを学習することで、AIが相対性理論を発見することは可能、つまりAIがパラダイム変換を引き起こすことは可能だと考えることができる。

 だが、この見方にも難点があり再反論ができる。複雑な理論が間違っているとは限らないし、生物学や生態学、地球科学、人文社会科学などでは、新たなデータが出るたびに新しいパラメータを導入したりパラメータを修正したりする必要が生じることは普通であり、簡潔さだけを基準としたのでは、革命的な理論を生み出すことはできない。たとえば地球科学に革命をもたらしたプレートテクトニクス、その先駆的な業績であるウェゲナーの大陸移動説などは、アインシュタインの革命のように簡潔なものではない。また物理法則のような精密な数学的モデル・道具を構築することもできない。それでもプレートテクトニクスで地球科学の多くの課題が解明された。地震の発生メカニズムを科学的に考察できるようになったのもプレートテクトニクスのおかげだと言える。ダーウィンの進化論についても同じようなことが言える。簡潔で少ないパラメータという理念に基づき研究ができる分野たとえば基礎的物理学であれば、その理念を学習させることで、AIを天才に育てることができる。しかし、自然界は物理学だけで説明できるものではなく、それぞれの階層に相応しい個別特殊科学が必要となる。それゆえ物理学研究の理念が常に通用する訳ではない。そういう分野でもAIを天才に育てることはできるだろうか。(注)
(注)ここで、天才という概念そのものが曖昧だと批判する者がいるだろう。しかし、これについては地動説、ニュートン力学、進化論、原子論、相対論、量子論、プレートテクトニクスのようなそれまでの時代に信じられていた理論的モデル・道具を根底から揺さぶるような理論、新しい視界を開くような理論を生み出す能力を天才と呼ぶことでとりあえず解決できる。パラダイム論を援用すれば、パラダイム変換を生み出す能力を天才と呼ぶと言うこともできる。なおパラダイムとは何かという問題があるが、本論の本質にかかわる問題ではないので、ここでは議論しない。

 AIが革命的な理論や学説を生み出す天才となりえるかどうかは、解決が難しい問いだ。人間の知性はアルゴリズムと機械的なデータ学習を基盤とするAIには存在しえない特殊な能力があるという考えは根強い。天才という名に相応しい者には常人には備わらないインスピレーションがある。それは決してアルゴリズムや機械学習で得られるものではないと考える者がいる。現在のAIは人間よりも遥かに博学で短時間で質問に答えを与える。大量のデータの中から人間では発見できないパターンを見出すこともできる。だが、AIに、天才に備わるインスピレーションのようなものを感じることはない。一方で、それは現在のAIが進化の初期段階にあるからだと反論する者がいる。人間の脳は膨大な数の神経細胞がシナプス結合で接続される一種の電子回路であり、そこで起きていることは原理的にはすべて人工的な電子回路で再現可能であり、そのことは天才と言われる人物の脳でも変わることはない。それゆえAIはいずれ天才となれる。AI研究者などはこういう考えを持つ者が多い。

 どちらが正しいかは分からない。脳は一見、電子回路の一種であるように見える。しかし電子回路と異なり脳には可塑性がある。シナプス結合は神経伝達物質により実現されるがそこにはアナログ的な性質があり電子回路とは異なる。神経細胞の周囲には大量のグリア細胞が存在する。グリア細胞はもっぱら栄養供給元であり脳の情報処理には関与しないと考えられてきたが近年ではその考えに疑問が持たれている。脳波の存在と、脳波が人間の気分や思考と密接な関係にあることから、脳には電子回路には存在しない大域的な性質があると考える者もいる。電子回路も脳も構成する元素が違うとはいえ原子分子の集合体だから等価になるはずだという素朴唯物論的な立場は成り立たない。唯物論的な立場を取っても、脳と電子回路の等価性が導き出される訳ではない。

 結局のところ、AIが天才となりえるかは哲学的な考察では答えは出ない。それに科学的な考察を加えてもやはり答えは出ない。脳の働きは余りにも複雑であり理論的なモデル・道具で解明することには限界があると考えられるからだ。それゆえ、AIが天才になれるかどうかという問題は、天才と言えるAIを実際に作ることができるかどうかにかかっている。それまで、私たちは待つしかない。ただし、もし答えがノーならば、私たちは永遠に待つことになる。なお、天才AIを作ることが可能となったとして、それを実際に作ることが許容されるかどうかは別問題で、社会的、倫理的な観点を含めたより広い議論が必要となる。


(2026/1/11記)

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