井出 薫
レーニンはマルクスとエンゲルスの思想は完全に一致しており、マルクスとエンゲルスのテクストを合わせてマルクス主義の全体をなすと論じた。結果、マルクス主義=マルクス・エンゲルス主義という公式が成立し長くマルクス主義者の公式見解となった。現在においても、日本共産党は同じ見解を取っている。さらにソ連時代には、レーニンはマルクス主義(=マルクス・エンゲルス主義)を拡張し、マルクス・レーニン主義を確立したと言われ、これも長い間、マルクス主義者の公式見解とされた。日本共産党は今ではレーニンを引用することはほとんどないが、党の基本思想である科学的社会主義と民主集中制はマルクス・レーニン主義に近い。 しかしながら、レーニンについては、たとえばその唯物論哲学はマルクスとエンゲルスのそれとは大きく異なっており、マルクス主義=マルクス・レーニン主義という公式は成立せず、レーニンの思想はマルクスやエンゲルスに触発されたものではあるが、独自の思想と捉えた方が良い。そして、非共産党系のマルクス主義者やそれに近い立場の者の多くがそれを認めるだろう。レーニンの哲学関連の主著『唯物論と経験批判論』で展開される唯物論は、物質が先か意識が先かという単純な二項図式の枠内で議論されており、マルクスやエンゲルスのような西洋哲学思想の歴史を踏まえた深い洞察がなされていない。素朴な機械的唯物論を「ただものろん」と揶揄することがあるが、レーニンの唯物論も該当する。それゆえ、ここでは、レーニンには触れず、マルクスとエンゲルスの思想の違いについてのみ議論する。 マルクスとエンゲルスの思想の違いを指摘する者は昔から存在した。ただロシア革命を成就し神格化されたレーニンが両者の完全な一致を宣言したために、長い間、両者の差異を論じることはマルクス主義陣営の中でタブー視された。だが、幾つかの重要な点で両者には違いがある。エンゲルス自身はマルクスの思想に異議を唱える意図は全くなく、マルクスの思想を忠実に伝えるつもりだった。だが、二人の思想には違いが生まれた。 マルクスの哲学思想を弁証法的唯物論と呼ぶことがある。この名称を定着させたのはスターリンで、今ではこの名称を不適切だと考える者が少なくない。しかし、マルクス主義において弁証法が重要であることは紛れもない事実と言わなくてはならない。そして、弁証法の捉え方においてマルクスとエンゲルスには違いがある。マルクスは遺稿『経済学批判への序説』の「3.経済学の方法」において、弁証法とは研究対象を科学的に認識するための方法とみなしている。そして科学的に認識された理論は対象そのものとは違う、対象世界そのものは科学的な理論の外に立っていると論じている。そして、ヘーゲルの過ちは、対象世界と科学的な認識を同一視していることにあると指摘する。つまりヘーゲルにおいては概念そのものが世界であり、世界の発展とは概念の運動であるかのように論じられている。これをマルクスは思弁的、観念論的と厳しく批判する。このようにマルクスにおいては弁証法は認識論に属するものであり、存在論に属するものではない。一方、エンゲルスは『自然の弁証法』で、弁証法の原理は自然に内在するものであり、自然の研究によりその原理を発見するべきものとしている。ヘーゲルは弁証法の原理を頭の中で作りだし、それを自然に読み込んでいる、そこがヘーゲルの過ちであり、正しいやり方は逆、つまり自然から弁証法の原理を読み出すことなのだとエンゲルスは論じる。エンゲルスにとっては、弁証法は自然およびその延長線上にある社会に内在する原理であり、マルクスとは異なり存在論に属するものとなる。マルクスもエンゲルスもヘーゲルの弁証法を批判する。しかしマルクスが本来認識論に属する弁証法を存在論的に捉えているとヘーゲルを批判するのに対して、エンゲルスはヘーゲルと同様に弁証法を存在論的に捉え、頭の中で作り出した弁証法の諸原理を自然に当て嵌めようとしているとヘーゲルを批判する。ここに二人の大きな違いがある。そして、ソ連時代のマルクス主義者の多くがエンゲルスを継承した。その影響を受け、レーニンは意識が物質に先行すると考える思想が観念論であり、物質を意識に先行すると考える思想が唯物論だと論じることになり、スターリンはマルクス主義の根本思想を弁証法的唯物論と定式化することになる。これらは、弁証法とは存在論の次元に属するものとするエンゲルスの思想から自然に導かれる思想だと言えよう。 筆者はマルクスが正しくエンゲルスが間違っていると考える。そしてエンゲルスの弁証法に関する考え方がレーニンやスターリン、その他のマルクス主義者に継承されたことが大きな災厄をもたらしたと考える。スターリン時代のソ連・東欧、文化大革命当時の中国ではマルクス主義に適うと主張された似非科学が大々的に流布され、まともな科学者たちが迫害された。それは弁証法を存在論的に捉えた結果だと言える。さらに、弁証法が存在論に属するのであれば、世界は弁証法的に運動する物質世界であり、何人もそれに逆らうことはできないことになる。人間社会の歴史を含めてあらゆる歴史的展開は弁証法的な必然的運動であり、それを科学的に認識した者=マルクス主義者こそが正しい者であり、マルクス主義者が世界を統治することで初めて人間社会は正しい方向に向かう。それゆえマルクス主義に反対する者、疑念を持つ者は批判し、更生させる必要がある。そして悔い改めない者は排除する。相対論や量子論を理解できない者は物理学者にはなれず論文誌に論文を提出しても受理されない。だが、それは当然のことでトンデモ理論を掲載する必要はないし、掲載しても物理学の発展に少しも寄与しない。だが、それは自然科学の場合の話しで、社会体制や政治の在り方については当て嵌まらない。ところが自然科学研究の手続きが社会体制や政治の在り方の議論にも適用されソ連型の独裁社会が正当化されることになった。その結果、正しい教えであるマルクス主義を受け容れない者を排除することは人間社会を正しい方向に導くために不可欠なことだとされた。一方、マルクスの弁証法解釈に基づけば、マルクス主義者とマルクス主義を批判する者とが対等な立場で議論することこそが社会をよりよい方向に導くという発想を生み出す。だが、そうはならなかった。 マルクス主義は人間の歴史を自然史の一部として捉える傾向がある。これもマルクスというより、エンゲルスの考えに近い。マルクスは人間の歴史と自然の歴史とは一線を画すると考えていた。それはダーウィンの進化論に対する二人の反応の違いに現れている。ダーウィンの『種の起源』が世に出た時、二人とも大いに感銘を受けた。そして自分たちの哲学思想の正しさが明らかになったと興奮した。だが、マルクスはしばらくすると、ダーウィンから距離をおいた。一方、エンゲルスはダーウィンの進化論の延長線上にマルクスの思想を位置付けることができると考えた。それはマルクスがこの世を去った翌年の1884年に発行された『家族、私有財産および国家の起源』に反映されている。二足歩行の発達とそれに伴う手の自由度の拡大、それに対応する脳の発達、それが技術を生み出し文明を築き、剰余価値生産を可能とし、家族、私有財産、国家という制度の確立に繋がったとエンゲルスは論じる。確かに、エンゲルスの考察には一理ある。だが、自然史の延長として社会の歴史を捉えることには限界がある。マルクスがダーウィンと距離を置いたのも、ダーウィンの進化論を社会史に適用することはできないと考えたからではないだろうか。そして、筆者はここでも正しいのはマルクスだと考える。だが、後世のマルクス主義者はこの点でもエンゲルスを継承し、社会史を自然史的な観点で捉えることになった。それがソ連型独裁的共産主義に繋がることになったとも言える。 本稿で指摘した二つの論点は密接に関係している。実際は一つの問題だと言ってもよいかもしれない。エンゲルスのように弁証法を存在論的に捉えれば、ダーウィンの進化論と、マルクスが『経済学批判』の序言で簡潔に述べた歴史観−後世、唯物史観とか史的唯物論とか言われることになる歴史観−を同一次元で考えることは自然の成り行きだと言える。だが、マルクスのように弁証法を認識論的に捉えれば、自然と社会では違う研究方法が必要となることは容易に理解できる。マルクスは『経済学批判』の序言で、上記の歴史観を「導きの糸」と述べている。つまり、それはあくまでも科学的研究の方法論、認識論に属するものだった。 本稿ではエンゲルスを批判的に論じ、マルクスとの違いを強調した。だがエンゲルスの経済的支援がなければマルクスは『資本論』第一巻を完成させることすらできなかっただろう。マルクス死後のエンゲルスの努力がなければ『資本論』第三巻が日の目を見ることはなかった。第三巻は多くの箇所が未完成あるいは空白で、不適切な議論、間違った主張も多かった。それを校正し補足し一応完結した著作として世に出すことができるようにしたのがエンゲルスだった。マルクスの思想を広く世界に知らしめ20世紀の歴史に決定的な影響を与えることになったのはエンゲルスの存在があったればこそのことだった。その意味では、マルクス主義とはマルクス・エンゲルス主義だと言っても強ち間違いではない。エンゲルスは確かに偉大な人物だった。だが、意図したものではないにしてもエンゲルスのマルクス理解には様々な問題がある。『資本論』第三巻にしてもマルクス自身が書いていれば異なる内容になっていたのではないかと思える箇所が少なくない。そして、残念ながら、そのことが後世、多くの災厄をもたらすことになったと感じざるをえない。 了
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