☆ 発見と発明 ☆

井出 薫

 発見と発明は違う。以前から存在していたが気が付かなかったことに気付くことが発見で、存在しなかったものを人為的に作り出すことを発明と言う。未知の星や新種の生物は発見で、自動車や飛行機は発明だ。

 では、法や人権は発見だろうか発明だろうか。自然法思想や天賦人権論では、これらは発見ということになる。一方、実定法主義では発明ということになる。どちらが正しいかは意見の一致をみていない。

 次に数学はどうだろう。無限集合論は19世紀に登場したが、発見だろうか発明だろうか。数学の真理からなる数学世界が実在するという数学的プラトニズムでは、発見ということになる。だが、ウィトゲンシュタインなど数学を道具として捉える立場では、発明ということになる。こちらも決着がついていない。

 物理法則はどうだろう。これは多くの者が発見だという。正しい物理法則は人間の意思とは独立した客観的存在だからというのが、その理由だ。確かに、物理法則で説明される物理現象は実在する。だが、宇宙のどこを探しても、文字で記された法則そのものを観測することはできない。それは論文や教科書・解説書など人工物の中だけに存在する。それゆえ、物理法則は、物理現象を適切に記述するための発明だと考えることもできる。

 自動車や飛行機は発明だと言われるが、プラトンのイデア論が正しいとすれば、自動車のイデア、飛行機のイデアが実在し、自動車や飛行機の発明とは、実際は、イデアの発見、その地上での再現ということになる。イデア論では発明と発見は明確には区別できない。プラトンのイデア論は空想に過ぎないと考える者が現代では圧倒的に多い。しかし芸術を考えると、あながち空想とばかりは言えない。だから芸術を発明と表現することはない。多くの場合、芸術は発明ではなく創造と表現される。そして、創造とは無からの生成ではなく、何らかの存在に触発されて新しい者を生成することを意味する。そこには発見と発明という二面性がある。ハイデガーによれば、古代ギリシャのテクネーは、技術と芸術の両方を意味していた。だとすると、自動車や飛行機も発明であると同時に発見でもあると言える。

 新しい星や生物種の発見には、様々な発明(観測装置や顕微鏡など)の活用が欠かせない。発見の背景には常に発明の成果がある。また、新しい星や生物種を新しい概念の生成として捉えれば発明でもある。

 発見と発明を明確に区別することはできない。そのことは、人間の認識と実践が、モデル・道具の生成と使用であるとするモデル・道具論と合致する。つまり、新たなモデルとしては発見であり、新たな道具としては発明なのだ。そして、発見と発明という二面性を持つがゆえに、新しいモデル・道具の生成は、分野に関わりなく創造という性格を有することになる。その創造に大きな貢献をする者を創造者と呼び、それが卓越しているとき人はその者を天才と称する。


(2023/4/8記)

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