☆ デジタル時代と資本論 ☆

井出 薫

 マルクス『資本論』は、労働価値説(注1)を原理として、そこから導き出される剰余価値理論(注2)を核心とする。だが、デジタル時代、その限界が明らかになっている。電子書籍やデジタル化された動画、画像、音楽などのデジタルコンテンツ、それらを利用するために不可欠なアプリやOS、これらのデジタル時代特有の商品は、製造時に必要とする費用を超えて売れれば限界費用はほとんどゼロであり、利潤の源泉である剰余価値は無限に増えていく。だが、『資本論』では、生産現場で生み出される労働者の必要労働を超えた剰余労働が剰余価値の源泉なのだから、デジタル商品のこの性質とは明らかに矛盾する。
(注1)労働価値説とは、商品価値は、その生産に必要な社会的平均労働時間に比例するとする学説。それは必然的に市場での等価交換(等しい価値を持つ商品が交換される)を導く。
(注2)剰余価値理論とは、生産現場で、労働力の所有者である労働者は、自分たちが生きて再び労働できるようになるために必要な労働時間(必要労働)を超えて労働(剰余労働)する、そして、この剰余労働が資本家などの支配階級の手に入り流通過程で剰余価値として実現し、それが産業資本家の利潤、金融資本家の利子、大土地所有者の地代となる、という理論。つまり資本主義は労働搾取により初めて成り立つ。このようなことが可能なのは、生産の二大要素、生産手段と労働力において、生産手段は生産過程で自らの価値と等しい価値だけを新たな商品に付加するが、労働力は自らの価値=労働力を再生産する(商品を消費し生きて再び生産現場で労働する)ために必要な商品価値(必要不可欠な衣食住など商品の価値、それが労働者の賃金となる)を超えて労働することができるからだ。労働者は、自分一人が生きるために必要となる労働時間を超えて労働することができる。それにより、子ども、老人、病人・怪我人など働くことができない者も生きていける。生産力が向上すると、働くことができるのに、自らは労働せずに労働者の剰余労働を搾取して生きる者が出てくる。奴隷制時代の奴隷所有者、封建時代の封建領主(王や貴族)、そして資本主義時代の資本家や大土地所有者がそれに該当する。なお、『資本論』では、資本とは自己増殖する価値体を意味する、また、生産手段は自らの価値を超える価値を生み出さないことから不変資本、労働力は自らの価値を超えた新たな価値を生み出すことから可変資本と呼ばれる。ただし、資本の定義は依然として正しいと言えるが、労働力だけが価値増殖の源泉とするマルクスの思想は正しいとは言えない。剰余が生じるのは、生産手段と労働力を要素とする社会的なシステムが差異を作り出すからだと筆者は考える。

 デジタル時代は『資本論』の限界を示す。これに対して、必要労働と剰余労働の和を超える特別利潤が発生していると解釈することで『資本論』を擁護することはできる。しかし、デジタルコンテンツやアプリ、OSが極めて特殊な商品であれば、このような理屈も成り立つが、現在では経済全体において大きな比率を占めるまでに至っているので、このような解釈は説得力のあるものではない。

 それでは、『資本論』はもはや意味がないのだろうか。剰余価値理論の価値は、生産前と後でシステムに差異があり、それにより剰余価値が生まれることを示すところにある。逆に言えば、システムに差異があるところに剰余価値が生まれる。ここがポイントであり、このことは現代の資本主義においても成立する。資本主義は、社会的なシステムの差異を作り出す、あるいはそれを利用することで、剰余価値を生産して自己増殖する価値体としての資本を形成し、発展する。

 社会的なシステムの差異には4種類ある。時間的差異、空間的・地域的差異、権力関係の差異、情報の差異だ。時間的差異は典型例としてシュムペーターのイノベーションが挙げられる。空間的・地域的差異は商業資本が利用する差異(財の価格、労賃などの地域差など)がその例になる。情報の差異は、デジタル商品の他、知的所有権、教育現場における教師と学生、あるいは市場における売り手と買い手の間にある情報の非対称性などが挙げられる。そして、権力関係の差異は資本家と労働者の差異がその典型で、これは『資本論』における絶対的剰余価値生産(労働者を長く働かせることで剰余労働を増やす)が該当する。つまり、力関係にものを言わせて、労働者を長時間労働させる、労働強度を高めるなどの方法で生産前と後で差異を作り出す。

 資本主義が維持、発展するためには、このような社会的なシステムの差異が欠かせない。『資本論』はそのことを剰余価値理論、特に相対的剰余価値生産の理論、つまり労働生産性を向上して必要労働時間を短縮することでより多くの剰余価値を生み出すことができるという理論で表現している。相対的剰余価値生産の理論はまさしく時間的差異の創出が資本主義において重要な要件であることを物語っている。ただ、マルクスの時代つまり19世紀前半から中盤の資本主義は生産力が不十分で、かつ粗野で暴力的であったために、マルクスは資本主義の鍵がシステムの差異であることを十分に認識することができず、権力関係の差異に基づく労働搾取に意識が集中することになった。そこにマルクスの時代的制約があったと言えよう。それが、デジタル時代の現代において明らかになった。だが同時に『資本論』がシステムの差異を見出したという点で、時代を超えた卓越した思想であり現代においても有用であることを示している。


(2022/12/22記)

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