☆ 脱成長 ☆

井出 薫

 環境問題への関心の高まりを受けて、脱成長に注目する者が増えている。斎藤幸平の『人新生の資本論』も脱成長の一つのシナリオを提示している。

 脱成長の定義は論者によって異なり、確立したものはないが、経済成長(=GDPの拡大)を経済の目標とすることを放棄する点では一致している。また、それは人々が清貧の中で生きることを求めることではなく、GDPが増加していなくても人々の生活の質は向上しうることを含意している。だが、そのようなことは可能だろうか。

 マルクスは『資本論』で、商品の価値には、使用価値と価値という二重の価値があると指摘する。使用価値とは、商品が何に役立つかを示す。医療サービスは病気を治し健康の増進に貢献する。家は人に住処を与える。パソコンやスマホは通信や情報処理に使われる。食料品は栄養を与え生命を維持するために欠かせない。使用価値とは商品の質を表すと言ってもよい。一方、価値とは、貨幣で評価される商品の価値を意味する。医療サービス、家、パソコン、スマホ、食料品など、すべて日本では同じ「円」という通貨で購入することができる。そこでは使用価値のように商品の質は問題とされず、もっぱら商品がもつ貨幣価値が問題となる(注)。使用価値が商品の質的な側面を代表するのに対して、価値は商品の貨幣を単位とする量的側面を代表すると言ってもよい。
(注)マルクスは、価値は、商品を生産するために必要とされる社会的平均労働時間で決まると考えた。これを労働価値説という。だが、マルクスの考えには難点が多く、筆者も正しいとは考えていない。それゆえ、ここでは、価値を貨幣で換算される商品の量的性質として論じる。

 マルクスは、資本を「自己増殖する価値体」と定義する。つまり、資本にとって大切なものは使用価値ではなく、価値になる。たとえ有害な商品(有害な食品や薬物、暴力的な映像など)でも、価値があれば、法的規制や世論の批判などがなければ、それを生産して売ろうとする資本家が出てくる。戦争で使用される兵器などもそれに近い。つまり、資本主義においては、価値の増殖こそが経済活動の目的であり、原動力でもある。そして、価値の増殖が可能であるためには経済成長が欠かせない。現代社会において、経済成長とは使用価値の向上ではなく価値の増大を意味している。それゆえ経済成長がなければ、パイの奪い合いになり、利益を得ることができる者がいても、得られない者もいることになり、資本主義の発展は望めない。

 つまり、資本主義社会だからこそ、経済成長が不可欠となる。逆に言えば、経済成長が止まれば、資本主義は維持が困難になる。それゆえ、資本主義という経済体制を維持しながらも、脱成長を目指すことは理論的に困難あるいは不可能ということになる(注)。
(注)マルクス・ガブリエルは、資本主義と倫理を統合することで、倫理的資本主義を実現することが可能で、それにより環境問題や貧困・格差の問題を解決することができると論じる。だが、彼の倫理的資本主義は、現実の資本主義とは似ても似つかないものであり、その実質は資本主義ではない、脱成長の経済体制であると考えられる。

 このように、経済成長が止まると資本主義の維持は困難となる。しかし、それは人々の生活が良くなることを妨げるとは限らない。なぜなら、人々が必要とするのは価値ではなく使用価値だからだ。30年前の携帯電話やパソコンと今のスマホやパソコンと比較すると、価格はほとんど変わっていないが性能はすこぶるよくなっている。つまり価値は同じでも使用価値は大幅に向上している。医療サービスも同じで、かつては不治の病と恐れられた白血病は今ではその多くが治療可能になっている。食料品の多くも栄養面でも味覚の面でも改善されている。このことは、付加価値の総体としてのGDPが拡大していなくても、あるいは低下してさえいても、人々の生活が改善されうることを示している。

 つまり、脱成長は理論的には完全に実現可能で、環境問題の解決や社会的公正の実現にはむしろその方が都合がよい。また、脱成長は人々の諍いを減らし、平和を実現するためにも望ましい。

 ただ、現実問題として、資本主義体制に制度面でも、文化・思想面でも完全に依存しきっている現代世界を転換させることは極めて難しい。転換が実現でき、それから暫く経てば人々はそれがよいことであったということを実感するだろう。だが、その実現を急げば、そこに至る過程で、社会の分断・対立、主導権争いなどが起きることは避けがたい。そして、このようなハードランディングは誰も支持しないだろう。だが、環境問題は深刻で、貧困や格差の問題も成長を不可欠な要件とする資本主義の下で最終的に解決できるとは思えない。だとすると、やはり「脱成長+使用価値の改善」が可能となるような体制を目指す必要がある。そして、そのためには、ソフトランディングができるようなシナリオが必要となる。もちろん、シナリオを描き、それを人々に説明し、説得し、実現することは容易なことではない。だが、それを目指すしか他に道はないように思える。


(2022/10/14記)

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