井出 薫
心と呼ばれる存在は、AIのプログラムに等しいとする考えがある。もし、それが本当であれば、心をAIに移植することで、不死の存在になることが可能だと思われる。身体が滅んでも、AIの中で、私の心は永遠に生きる。私とは私の身体ではなく私の心を意味する。それゆえ、心を永遠に保存することが可能であれば、人は不死の存在となりえる。 残念ながら、量子論はそれが不可能であることを教えている。なぜなら、古典物理学で記述される物理状態と異なり、量子状態はコピーが不可能だからだ。それゆえ、脳神経系に宿る心をコピーしてAIに移植することはできない。 心が量子状態と対応しているかどうかは定かではない。だが、量子論は最も普遍的な物理理論であり、古典力学、古典電磁気学、相対性理論などは、量子論の近似的な理論と考えられている。つまり、物理世界は量子論の世界で、それ以外の古典物理学はプランク定数をゼロと見なしてよい場合において近似的に成立する理論に過ぎない。それゆえ、人の心も古典物理学に従う物理状態ではなく量子状態だと考える方が理に適っている。 古典物理学とそれに基づく古典コンピュータでは、情報と情報を担う物質を分離することができる。つまり、ソフトウェアとハードウェアを分離できる。だが、量子状態(=情報)のコピーが不可能であることから、量子論とそれに基づく量子コンピュータの世界では、両者を分離することはできない。それゆえ、心が量子状態であれば、心と脳神経系という物質とを分離することはできない。AIに人の心を移植するという方法で、不死を実現しようとしても成功しない。 了
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