☆ 論理の不可解さ ☆

井出 薫

 「200歳以上で年収が1千万円を超える者はいない。」この命題は真だろうか、偽だろうか。この命題の解釈による。この命題を「「200歳以上の者が存在する」かつ「その者は年収1千万未満である」」と読むのであれば、「pかつq」はpとqが共に真であるときにのみ真となるという論理規則に基づき偽になる。「200歳以上の者」は存在しないからだ。だが、この命題を「「xが200歳以上」ならば「xは年収1千万未満である」」と読むならば、「pならばq」はpが偽ならばqが真でも偽でも真になるという論理規則に基づき、真になる。「xが200歳以上」は偽だからだ。

 つまり、この例文は論理的な明確さに欠けており、解釈により真にも偽にもなる。私たちが日ごろ使用する言葉はこのように曖昧で、論理的な明晰さを欠くことが多い。だが、その一方で、論理や数学は明晰であるにも拘らず、日ごろ使う言葉にはない不可解さが存在する。

 「pならばq」がその典型的な例となる。先にも述べた通り、pが偽ならば、qは真でも偽でも真となる。それゆえ「雪が黒いならば太陽は西から登る」も「雪が黒いならば太陽は東から登る」はいずれも真となる。だが、いずれも真とか偽とか言うよりも、無意味だというのが普通の感覚だろう。最初の例文も真とか偽とか言うよりも、無意味だと考える方がしっくりくる。

 「pならばq」はpが真の場合はqが真である場合にのみ真であるが、pが偽である場合はqが真でも偽でも真となる。この論理規則は不自然に思えるかもしれない。しかし、この論理規則は数学において決定的な意義を持つ。

 数学的な体系が無矛盾であることを証明するには、一つでも証明不可能な命題が存在することを証明すればよいことが分かっている。そして、そのことは「pならばq」の論理規則に基づいている。「pならばq」はpが偽の場合は、qは真でも偽でも真になるから、偽の命題pが証明される数学体系つまり矛盾した数学体系では、真であろうが偽であろうが、全ての命題が証明されることになる(注)。要するに、「矛盾した数学体系では全ての命題が証明される」。それゆえ、その対偶を取ることで、「一つでも証明不可能な命題が存在する」ことが証明できれば数学体系は無矛盾であることが証明される。
(注)証明とは、証明された命題pから、「pならばq」によりqを導くことを意味する。

 要するに、「pならばq」が、pが偽ならばqが真でも偽でも真になるという論理規則は数学体系が無矛盾であることを証明するうえで不可欠の要件になっている。この一見不可解に思える論理規則が、私たちが最も信頼する知である数学を支えている。そして、同時に日常言語の曖昧さを露にする。

 しかし、これは事実だとしても、何か居心地の悪さを感じる。ハイデガーは、「論理規則は、存在の真理があって初めて意味をなす」と警告するが、一理あると思われる。日々使用される私たちの言葉と論理の乖離は、論理が展開される場である「存在」について真摯に思索することが論理そのものの意味を解明するために不可欠であることを示唆している。


(2022/6/3記)


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