☆ 色 ☆

井出 薫

 このところ新型コロナウィルスの画像をよく目にするが、その中に色付きのものがある。だが、新型コロナウィルスに色はない。色付きの画像はウィルスの姿を分かりやすく示すために人工的に着色している。人間が色を感じるのは、波長が0.38ミクロンから0.78ミクロンの電磁波だが、新型コロナウィルスは0.1ミクロンで、可視光を使う光学顕微鏡では見ることが出来ず、電子顕微鏡で初めてその姿を捉えることができる。それゆえ新型コロナウィルスについて色を語ることは意味がない。ところで、色とはそもそも何なのだろう。上に記した波長域の電磁波なのか?そうではない。

 特定の波長域の電磁波が色なのではない。電磁波は客観的な性格を有するが、色は人間という生物種固有の主観的な経験であり、電磁波とは等しくない。私が見ている色と他人が見ている色が同じかどうかすら分からない。人間以外の動物たとえば蜜蜂とか蝙蝠は、人間とは全く違う見え方をしているだろう。

 色が主観的だとすると、それはどこで生まれるのか。電磁波が脳の中で何かを引き起こし、色を見せていると考えられるが、どこでそのようなことが起きているのか分かっていない。脳科学は色を認知する脳内のメカニズムを説明することができるが、なぜそれが色という経験になるのかは説明できない。色という存在が主観的であることが科学的な解明を阻んでいる。そもそも、色というものがなぜ必要なのか。進化論的には、色で環境を認知することに何らかのメリットがあったということになるが、それが何か分からない。色が無くても光の周波数の違いを直接感知し環境に適応することは十分に可能だからだ。むしろ、人間は色に惑わされることが多い。

 色はクオリア(感覚的な意識)の問題に繋がる。そして、色は、クオリアを問う際に最も身近で分かりやすい事例と言える。音は、聴覚における色と類似の存在だが、音は空気振動であり、それを聴覚は音として直接感じている。その点で、音は外界との対比が明確になっている。匂い、味、触覚なども音に近い。それに対して、色は電磁波と全く異なる。だからこそ、色を問うことがクオリアの謎を問うことに直接的に繋がり、心の哲学の端緒ともなる。ゲーテやウィトゲンシュタインが終生、色に拘りを持ち続けた理由は、ここにあると思われる。


(2021/4/22記)


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