☆ 偶然か必然か ☆

井出 薫

 ある出来事が偶然か必然かは、それを観察する者の知識による。原始人にとって、日食や月食は理由のわからない偶発的な出来事だっただろう。しかし、現代人にとっては、地球と月の運動から導かれる必然であり、未来の日食や月食も正確に予測することができる。

 しかし、偶然と必然をもっぱら主観的なものであり客観性はないとする考え方には問題がある。量子論では、物理的な状態は複数(場合によっては無限個)の状態の重ね合わせで表現される。しかし、重ね合わせの状態が観測されることはなく、一つの状態だけが観測される。たとえば、二つの状態を取りえるとすると、二つの状態の重ね合わせで表現され、どちらの状態が観測されるかは、その係数の2乗で決まる。係数が共にルート2分の1ならば、どちらの状態も観測される確率は2分の1となる。このように観測することで、物理的な状態は重ね合わせの状態から単独の状態へと非因果的に遷移する。このように、量子論の世界では、必然的な物理法則と偶然的な観測結果が並存している。このことは、世界は必然的な性質と偶然的な性質を併せ持つことを意味する。それゆえ、偶然と必然をもっぱら主観的な性質ということはできない。もちろん、その一方で、偶然と必然という概念を世界に内在する原理と考えることは出来ない。最初に述べたとおり、ある現象が偶然か必然かは観測する者の知識に依存することがあるからだ。

 世界には偶然的な側面と必然的な側面がある。生物の変異は偶然に支配される。新型コロナに、この先、どのような変異が起きるかを事前に予測することはできない。だが、多くの変異はウィルスの感染能力を喪失させる。だから生き残る変異がどのようなものかを知ることはできる。研究が進めば、どのような変異が感染力を強めるか、毒性を強めるかを知ることができるようになるだろう。そうなれば、感染症対策は大きく改善される。

 学生時代習った通り、遺伝子の塩基配列は3個が組(コドン)となり、特定のアミノ酸を指定する。そして、アミノ酸の列がタンパク質を構成し生命を維持し増殖する。特定のコドン(たとえばCAA)が特定のアミノ酸(グルタミン)を指定する理由、それが別のアミノ酸ではなくそのアミノ酸を指定する理由は特になく、生物誕生・進化の歴史上の偶然であったと考えられている。そして、すべての生物種で、コドン・アミノ酸対応が同じであることから、全ての生物種は共通の祖先をもつことが示唆される。だが、この対応に進化論的あるいは化学的な必然性が存在する可能性は否定できない。もし、何らかの必然性が発見されれば、生物学や医学は大きく進歩することになる。

 世界の多様性と複雑性は限りがない。それゆえ、人間の科学や技術が如何に進歩しても、世界のほとんどの出来事は偶然的なものに留まる。しかし、偶然の中に必然を見出すことが出来ることがある。逆に、量子論や統計力学が示す通り必然の中に偶然があることもある。私たちは偶然の中に必然を見出す努力をするべきであると当時に、偶然の必然性を理解して世界の制御は原理的に不可能であることを悟ることも必要となる。


(2021/4/10記)


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