☆ 物理主義という幻想 ☆

井出 薫

 世界のすべての存在は素粒子からなる。それゆえ素粒子を支配する物理法則で森羅万象が説明できる。物理学こそすべての学の基礎であり、化学や生物学など自然科学だけではなく、心理学や社会科学なども物理学の法則に還元することができる。こういう考えを物理学帝国主義、あるいは物理主義などと呼ぶ。このような思想は20世紀の前半から中盤にかけて、少なからぬ者から支持された。また、今でも支持する者がいる。人は原子分子の集まり(つまりは素粒子の集まり)なのになぜ痛みを感じるのか、などという問いも、暗黙の裡に物理主義を前提している。

 素粒子の基礎理論は量子論だが、量子論は波束の収束とか観測問題などと呼ばれる未解決の問題を抱えており、森羅万象の基礎原理とはなりえない。事実、現実の自然界を記述するには、熱統計力学の諸原理を導入する必要がある。そして、その熱統計力学にも時間反転に対する非対称性など原理的な問題があり、森羅万象の理論ではない。また精密な体系が構築できるのは熱平衡か、それに近い状態だけであり、非平衡状態については現象的なモデルを作ることしかできない。そして、現実の自然界は非平衡状態にある。つまり、物理学は、特定の研究領域に対するモデル・道具に過ぎず、森羅万象の理論などではない。究極理論と期待される超弦理論でもそのことは少しも変わりがない。

 化学は一見物理学に還元できるように見えるかもしれない。しかし、化学に物理学は欠かせないが、化学には化学特有の理論と方法があり、物理学にすべてが還元できるわけではない。それは、単なる技術的な問題ではなく、原理的な問題だと言ってよい。そのことは、生物学ではより顕著になる。そして、心理学や社会科学は、物理学が参考となることはあっても、それに基礎づけられるなどということはない。経済物理学などという言葉があるが、経済に物理学を適用できる状況はごく限られている。それは、特定の領域で使うことができる方法論に過ぎず、経済学の基礎ではない。

 世界は、宇宙、銀河、恒星、惑星、地球、社会、生命、(無機的な)マクロ系、分子、原子、原子核、素粒子などの様々な階層からなる。そして、各階層は固有の原理や法則で記述される。それらすべてが物理法則に還元されるという理論的な根拠も実証的な証拠もない。ただ、そのように信じる者が少なくないという事実があるに過ぎない。つまり、物理学は森羅万象の理論ではなく、特殊な領域で有効となる特殊な理論と方法の体系と見なす必要がある。ただ、エネルギーや運動量の保存則、熱力学の第二法則などは、自然科学のあらゆる領域で遵守されるべき基準をなし、それに反する理論は間違っているか、近似的・便宜的なものと判断される。その意味では物理学は極めて強力で普遍的な学であり、自然科学系の学者、学生は全員学ぶ必要がある。だが、それでも、物理学は特殊な領域の特殊な学であることには変わりはない。

 その証拠として、物理学に還元できない概念を幾つか示しておこう。

 まず生命は物理学では説明できない。物理学には、生物と無生物を区別する理論はない。

 情報も、物理学の範疇外になる。情報の喪失と熱力学の第二法則には類似性があり、どちらもエントロピーという概念を使う。だが、それは情報理論が出来た後のことであり、また情報理論のエントロピーと熱力学のそれとを全く同一のものと捉えることはできない。情報の概念は物理学の内部にあるのではなく、外部から持ち込まれている。

 システムの理論も物理学には還元されない。物理学の対象は物理法則に従う単純な存在で、複雑な構造を持ち、目的と機能を有するシステムとは異なる。システムは情報処理、通信、制御など物理学の外部にある様々な機能の組み合わせとして存在する。

 社会の諸領域、経済、政治、法、文化などはもちろん物理学の範囲ではない。倫理が物理学とは全く異質な存在であることは言うまでもない。それゆえ、すべては物理法則で決まっているから犯罪者に罪はないという議論は端的に意味がない。

 要約しよう。物理学は、宇宙から素粒子まで多くの階層で、一定の有効性を持つという意味で、確かに普遍性が高いということはできる。だが、それは、物理学がすべての基礎であるということを意味しない。それはあくまでも特定の対象に適用される特定のモデル・道具なのだ。自由意志と(物理学的な)決定論の問題、原子分子の集合体がなぜ痛みを感じるのか、などという問題は疑似問題に過ぎない。

 混乱の根底には、物理法則を世界に内在する設計図だというイメージがある。しかし、それは錯覚に過ぎない。物理法則は、自然そのものではなく、そこに内在する設計図でもない。それは自然の認識とその利活用のためのモデル・道具に過ぎない。ただし、そのことは、物理法則が客観的なものであることを否定しない。人間は、自然の特定の領域の客観的な在り様を、物理学というモデル・道具で表現するということなのだ。ところが、このことを物理学者も、一般市民もなかなか理解しない。宇宙や素粒子などでの物理学の成功を過大評価し、それが森羅万象の根源であるかのように錯覚する。物理主義はその典型だと言ってよい。

 それでは、物理学に代わって、世界の各階層を統合する原理はないのだろうか。おそらく存在しない。世界が存在する、という事実だけが、ある意味で、唯一の普遍的な原理と言える。ただし、だからこそ哲学こそが根源的な真理を探究する学なのだといいたくなるが、そうはいかない。哲学もまた特殊な領域に対する特殊な学あるいは表現に過ぎない。哲学至上主義は物理主義以上に幻想に過ぎない。


(2021/1/30記)


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