☆ AIと認識能力 ☆

井出 薫

 認識能力とは何だろう。認識という言葉は様々な意味で使用される。人通りの多い街角で友人に気が付くことを認識と言うことがある。だが、哲学的な意味での認識は、もっと高度な知的活動とその成果を意味する。実験データを整理して法則性を見出し更にはそこから自然法則を導く、書を読み人の意見や行動を調べ道徳的な規範を見出す、人々の意見を集約して適切な政策を策定する、などが認識という言葉で表現される。友人に気が付くだけでは認識という言葉が使われることはなく、通常、知覚、認知という言葉が使われる。では、認識を哲学的な意味だとして、現在のAIは認識能力を持つと言えるだろうか。

 膨大な画像の中から、たとえば猫の画像を選び出すことをパターン認識と言うが、哲学的な意味での認識とは言えない。友人に気が付くのと同じレベルだからだ。ディープラーニングの技術でAIのパターン認識は飛躍的に進歩し、今や人間を超えている。しかしパターン認識だけでは(本稿の意味での)認識能力を有するとは言えない。また、与えられたデータを計算するだけでは認識とは言えない。それも、また、友人に気が付くというレベルの活動だからだ。

 では、認識能力には何が必要なのだろうか。自然法則を発見することを考えよう。実験や観察をしてデータを取得し、データを整理し、そこに一定の規則性を見出す、これが第一段階だ。このプロセスを円滑に行うには、パターン認識と計算が欠かせない。AIはいずれも有している。ビッグデータを統計処理し、人々の嗜好や行動様式を抽出することは、現在のAIなら容易い。人間では気が付かないこともAIを使えば気が付くことができる。この段階で認識能力を有すると言えるのであれば、AIはすでに認識能力を有していると言える。だが、哲学的な認識は抽象的で普遍的な自然法則の発見を必要とする。だとすると、現在のAIでは難しい。いくらデータを集めても、データの数は有限であり、そこから普遍的な法則へと移行するには飛躍が必要であり、現在のAIでは困難だからだ。一般的な法則を見出す方法として帰納法がある。しかし、有限数のデータの規則性を説明することができる一般的な法則は無数にあり、帰納法だけでは、どれか一つに決めることはできない。新たな実験や観測で候補を減らすことはできるが、それでも一つには決まらない。さらに、様々な仮説を加えて候補を絞ることができるが、その仮説は人間が与えてやらなければならず、AIだけでは実現できない。もちろん、このような飛躍は誰でもできることではなく、天才と呼ばれるような者だけができる。筆者のような凡人は、重力の法則や電磁気学の法則などは学び覚えることはできても、発見することはできない。だが、それを成し遂げる者がいて、その脳の構造は筆者のそれと変わらない。その意味で、潜在的には人は誰でも自然法則を発見することができると言える。しかし、現在のAIにはできない。自然法則を発見するには、(現時点では)プログラム化可能なアルゴリズムを超えた飛躍(閃き)が必要と考えられる。

 さて、ここまで来ると問題はだいぶ整理されたことになる。問題は飛躍なのだが、この飛躍もまた、無意識のうちに遂行されるパターン認識と計算により遂行されるという考えがある。それが正しいのであれば、課題は人間の為す無意識のパターン認識と計算のアルゴリズムを発見することだということになる。そのためには、脳科学、認知心理学、コンピュータサイエンスなど関連学問分野の研究を進め、その知見を活用し、様々なシステムを構築してどこまでできるか実験するという方法を遂行していけばよい。目標に到達することは容易ではないが、ハードウェア、ソフトウェアいずれも進歩は速く、そう遠くない将来、本稿の意味での認識能力を有するAIの実現が可能となろう。

 だが、認識能力はパターン認識と計算に帰着するという考えは本当だろうか。実は現在のAIのパターン認識は膨大な計算からなる。つまり、AIの認識とは計算によるものに他ならない。最近は計算機という言葉はあまり使われないが、実体に即して言えば、AIは依然として計算機なのだ。つまり、現在のAIの延長線上で認識能力が実現できるとする考えは、認識とは「計算=チューリングマシンで処理できること」と等しいことを前提とする。それが正しいかどうかはまだ分からない。人間の脳は、膨大な数のニューロンがシナプス結合してできている神経ネットワークであり、電子回路に等価であるとする考えが、認識=計算という図式を支持する根拠とされている。だが、ニューロンと半導体や金属は物理的、化学的な性質が大きく異なり、ネットワーク的な側面で類似性が高いことを以って、等価とは言い切れない。さらに、認識能力には、道徳的な規範を見出すということも含まれる。カントは、自然法則を発見する能力を理論理性、道徳的な規範を知り実行することを実践理性と呼び、両者を明確に区別した。カントの考えが正しいかどうかは議論が分かれる。しかし、AIが自然法則を発見できるようになったとしても、それだけで人間と同じ認識能力を持つとは言い切れない。道徳的な規範もまた計算に帰着されうるのかという問題が残るからだ。

 AIの進歩は目覚ましく、社会の様々な分野に浸透している。その潮流が変わることはない。むしろ、ますます加速するだろう。だが、果たして、AIが認識能力を持つことができるかどうかは、今のところ未解決の問題であることを忘れないようにしたい。そして、そのことは、AIをどのように活用していくかを考えるうえで、非常に重要なことだと思われる。


(2020/11/7記)


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