☆ 意味を理解するには ☆

井出 薫

 人工知能の最大の課題は、言葉(あるいは記号)の意味の理解だと言ってよい。現在の人工知能はすべてアルゴリズムに従っており、意味の理解もアルゴリズム化する必要がある。ここで、アルゴリズムとは言葉(記号)の論理的な体系のことだと言ってよい。つまり、人工知能に人間と同じように意味を理解させようとすると、意味というものを記号体系で表現することが必要になる。しかし、それは可能なのだろうか。

 「大学の本」この言葉の意味は多義的で様々な解釈が成り立つ。「大学が所有している本」、「大学の授業で使う教科書」、「大学に関する著作」など様々な意味を持ちうる。そのいずれが正しいかは、この名詞句だけでは決まらない。これが文になると意味が決まることがある。「学生は授業の準備のために、大学の本を購入した。」ここで「大学の本」は授業用の教科書又は副読本とみることができる。しかし、「学生は、大学の本を手にして、授業に出席するために学内を歩いていた。」という文では「大学の本」の意味は決まらない。授業用の教科書とも取れるし、大学の図書館から借りた本とも取れる。学生が新入生ならば、大学に関する著作である可能性もある。さらに、大学に関する著作たとえば大学の歴史を論じた著作で、講義用の副読本として使われており、かつ、図書館から借りてきた本であることもある。その場合、「大学の本」は三重の意味を持つ。

 文学作品や報告書ならば、読んでいくうちに「大学の本」が何を意味しているかが分かると思えるかもしれない。だが、必ずしも、そうとは限らない。小説を最後まで読んでも、意味が定まらないことがある。作者が何気なく「大学の本」と記し、その説明を最後までしないことがあるからだ。報告書でも同じことが言える。

 つまり、言葉の意味は言葉の体系の中で閉じていない。意味を理解するために、言葉を拡張した記号体系を用意すれば、その中では言葉の意味が確定するのではないかと期待する者もいるかもしれない。だが、言葉を拡張した記号体系も閉じておらず、意味は確定しない。記号の意味についても、ここで展開した議論と同じことが成り立つからだ。このことは意味は記号体系では表現できないことを示唆するように思える。これが、人工知能が意味を理解するためのアルゴリズムを発見することが難しい理由だと言ってよい。

 しかし、それは人工知能固有の問題ではなく、人間でも同じだという反論があろう。確かに、人間もまた「大学の本」の意味を確定できない。だが、人間は意味を知る手段を持っている。まずこの文章の作者に意味を尋ねることで知ることができる。作者が誰かが分からなくても、学生が誰かが分かれば学生に尋ねることができる。作者も学生も分からなくても、本を見る機会を得ることができれば、自分で読むことで意味を知ることができる。また、作者も学生も本も分からずとも、大学のキャンパスの様子から、意味を判断することができることもある。もちろん、どうしても意味が分からないことはある。だが、人間は様々な実践を通じて言葉の意味を探ることができる。ウィトゲンシュタインは、言葉の意味を知るためには、それがどのように使われているか調べる必要があると指摘している。それはこの辺りの事情を論じたものと解釈できる。

 これに対して、人間の実践をアルゴリズム化してロボットに組み込み意味を知ることができるという意見がある。「作者を探して尋ねる」、「学生を探して尋ねる」、「本を探す」などの行為を記号化しアルゴリズムの中に導入する、これで意味を理解するロボットができる。こう考える者がいる。いや、そう考える者が多いだろう。だが、それは正しくない。作者を探す、学生を探す、本を探すなど可能な実践は無数にある。また、作者や学生が誰かが分かっていれば探すことは容易だが、そうでなければ、探すために様々な試みをする必要がある。そして、その試みにもまた無数の方法がある。それらをすべてアルゴリズム化することは不可能と言わなくてはならない。

 いや、それは意味を理解するためのアルゴリズムを人間が書き下すことが事実上不可能だということを示しているに過ぎない。いずれ自動学習する人工知能が意味を理解する方法を発見すると予想する者もいる。しかし、言葉の体系の外部に意味の手がかりを見つけることができるような人工知能でないと適切な学習をすることができない。ただ闇雲にデータを集めても意味の理解には繋がらない。つまり、意味を知るために適切な学習をすることができる人工知能とは、最初から意味を理解している人工知能だということになる。だが、これは矛盾であり、自動学習で意味を理解できるようになる保証はないことが示される。尤も、偶然に意味を理解できるようになることはありえる。人間も進化の過程でそうだったのかもしれない。ただし、どのような環境を用意すれば、偶然にしろ意味を理解できるようになるのか、それが分からない。

 ここでの議論は、意味を理解する人工知能を作ることが現実的に極めて難しいことを示しているだけで、意味を理解するということ自体は原理的にはアルゴリズム化可能だという意見もあろう。筆者もその可能性を否定はしない。しかし、世界はアルゴリズムで動いているのではない。私たち人間は、対象を操作する際に、アルゴリズムという道具を使うことで、効率よく期待通りの成果を上げることができる。しかし、そのことは、すべてがアルゴリズムで実現できることを意味しない。それゆえ、原理的にも、意味の理解がアルゴリズム化できるかどうかは疑問と言わなくてはならない。いずれにしろ、アルゴリズムという概念を超えた何かが、意味を理解する人工知能には必要だと思われる。


(2019/10/13記)


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