☆ 意味 ☆

井出 薫

 AIの進歩は著しいが、自然言語処理に関しては、まだまだ人間には到底及ばない。その理由は人間と同じように自然言語を理解し使用することができるようになるためには、言葉の意味を理解する必要があるからだと言ってよい。生成文法の理論などでは、意味論を統辞論に還元する試みがなされているが、上手く行っていない。統辞論に還元できれば、意味をアルゴリズム化しプログラミングで表現できるから、意味の理解は容易になる。おそらく、ディープラーニングなどの機械学習の技術を使い、インターネットで流通する大量のデータを学習させることで人間と同じように意味を理解し、言葉を使えるAIを作ることができるだろう。だが、意味には統辞論には還元できない何かがあるようで、自然言語処理はごく限られた領域でしか成功していない。

 (言葉の)意味とはそもそもは何だろう。言葉が指示する対象が意味だとする「意味の対応説」があるが、対応説では理解できることが限られる。「あれが月だ」と言うときの「月」は地球の唯一の衛星を意味すると言ってよい。だが、「月とスッポン」という表現の「月」は意味するところが違う。後者は比喩的な表現で、言葉の本来の意味を示すものではないと主張する者がいるかもしれないが、言葉の本来の使用と、比喩的なそれとを区分することはできず、区分しても恣意的なものに終わる。言葉の意味を、それが指示する対象と同一視することは出来ない。

 「水を持ってきてくれ」この「水」は何を意味するのか。時と場合による。家族の誰かが、夏の夕刻、汗だくになって帰宅したとしよう。その場合、「冷蔵庫にビールが冷えている」と答えることができる。一方、化学の実験の最中に、教授が助手に向かってこの言葉を発したとしたら、冷蔵庫でビールが冷えているのが真実だとしても、このような返答は認められない。「真面目にやれ」と叱られるのが関の山だろう。後者では、「水」とは液相のH2O分子の集合体を意味する。だから、ビールを引き合いに出して答えることは出来ない。それに対して、前者では、「水」はのどの渇きを癒すものを意味しており、ビールで答えることができる。実際、「それはありがたい」という回答が返ってくることもある。現代人の多くは科学主義に聊か過剰にコミットしているために、水とはH2Oを意味し、のどの渇きを癒すものという意味は派生的、比喩的なものだと考えがちだが、間違っている。水が化学的にはH2Oであることが分かる遥か以前から、水という言葉は広く使用されてきた。むしろ、H2Oを水と呼ぶことこそ派生的な表現だと言える。

 ウィトゲンシュタインは、言葉の意味を知りたければ、言葉の使用を見よと言った。上の例で、水の意味を知りたければ、それがどのように使用されているかを調べる必要がある。そして、状況に応じた適切な対応ができるようになるための条件として、言葉の意味を捉えることができる。意味を把握することで、言葉を適切に理解し、また言葉を適切に使用することができるようになる。しかし、状況に応じた適切な対応ができるようになるための条件をアルゴリズム化、(表現を変えると)数学化することができるだろうか。おそらく不可能であると思われる。先の例で、化学の実験の最中は、ビールを引用することはできないと論じた。だが、教授がユーモアたっぷりの人物で、学生を笑わせ、リラックスさせながら授業を進めるのが常だったとしたら、助手が「ビールが冷えていますが」と返答することがありえる。そして、教授が「この授業が上手く行ったら全員で乾杯しよう」などと応じることも想像できる。要するに、意味に確定的な公式はない。言葉に意味を持たせる、言葉の意味を理解するということは、数学化されない創造的な行為だと考えてよい。それはAIは意味を理解できないということを意味するのではない。しかし、それは楽観的なAI研究者たちが思っているよりもはるかに難しい課題であると予想される。


(R1/5/26記)


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