☆ 市場経済と資本主義 ☆

井出 薫

 共産主義運動が後退したこともあり、資本主義という言葉を目にする機会は減っている。近年出版された大学生向けの経済学の教科書では、資本主義という言葉がほとんど使われていない。代わって頻繁に使われるのが市場経済という言葉だが、市場経済と資本主義は同じことを指すのだろうか。

 70年代後半、実権を掌握したケ小平は、「社会主義は計画経済、資本主義は市場経済という単純な分類は間違っている、社会主義にも市場はあり、資本主義にも計画がある」と主張し、市場メカニズムを導入し、先進資本主義国の資本を受け入れ、その後の中国の目覚ましい経済発展の礎を築いた。

 ケ小平が指摘する通り、市場経済=資本主義という図式は正しいとは言えない。しかしながら、西洋近代以降の世界において、資本主義と市場経済は切っても切れない密接な関係にある。

 市場経済とは何か。洋の東西を問わず古代から物を交換する市場は広く存在した。貨幣の歴史も古い。しかし広く市場で生産物やサービスが貨幣を介して交換されるようになったのは近代以降で、それ以前は、支配者は奴隷や農奴の労働による生産物を直接消費し、被支配者は自給自足するという形態が経済の中心で、市場は補完的な役割を果たすに過ぎなかった。それが、西洋の近代化とともに、生産者と消費者が分離され、生産者は生産物を自らが消費するのではなく、市場でそれを売り、自分が消費するものは、生産物を売って得た貨幣で市場から購入するようになった。市場経済とは、この形態が一国の経済全体に広がり、その活動を全面的に制御するに至った経済的なシステムを指すと言ってよい。現代の日本が市場経済であることは言うまでもない。

 一方、資本主義とは何だろう。マルクスによると、資本とは自己増殖する価値体であり、資本が支配する社会が資本主義ということになる。これを分かりやすい言葉でいえば、利益獲得を目指して、何らかの経済活動に、自らの、あるいは借りた資金を投じる個人又は私企業を資本家と呼び、資本家の活動が社会全体を制御する社会を資本主義と呼ぶと言ってよい。現代の日本経済の中心は、利益を求めて活動する私企業であり、資本主義と考えて間違いはない。

 このように、市場経済と資本主義は同じではない。大資産家が政府を支配し、政府が定める計画経済を通じて巨万の富を得ることは可能で、定義によってそれを資本主義と呼ぶことができる。また、ほとんどの財が市場で調達されるが、商品供給者がすべてNPOで、自分の生活費と事業継続に必要な資金以外の利益は一切求めないということもありえる。これを(資本家のいない)市場経済と呼ぶことができる。

 しかし、歴史的に見れば、両者は一体のものとして発展してきた。市場が経済全体を覆うようになるためには、利益獲得を目論む者たち、つまり資本家が必要だった。市場を介した商品の生産には二つの方式がある。買い手の注文を受けてから初めて生産を開始する受注生産方式と、買い手がいることを見込んで生産を開始する方式、この二つだ。市場経済が全面的に普及するには、後者の方式が広まる必要がある。受注生産では消費者が必要とする物を手にするまでに時間を要し、社会生活全般を支えることはできない。だが、後者には売れ残りというリスクが付きまとう。このリスクを担うことができる者は、損失に耐えられるだけの豊富な資金を持ち、かつ、リスクを抱えてでも利益が得られる可能性に賭ける者たちだけだろう。そして、こういう者たちが実際に巨万の富を得ることができる社会的な基盤が確立されて初めて市場経済が成立する。つまり、資本主義の興隆が市場経済の確立を可能とする。一方、資本主義の確立には市場経済が欠かせない。資本家は政府を支配し計画経済で富を得ることができると先に述べた。しかし、このような体制では、政権が変わると前体制で巨万の富を得ていた資本家は権力を失い富の源泉も失う。このような資本主義は政治に支えられた脆弱な資本主義もどきに過ぎず、本格的な資本主義には至らない。市場が資本家の主要な投資の場になって初めて資本主義が確立する。

 このように、歴史的に見れば、市場経済と資本主義は手を携えて発展してきたと言える。そして、その結果、資本主義=市場経済という漠然とした観念が人々の頭の中で成立している。だが、先に述べたように、両者は原理的には別物で、たとえば資本主義ではない市場経済がありえる。だが、問題は、現実的に、資本主義ではない市場経済が、それも人々の生活を継続的に改善していくことができるような市場経済が可能であるかどうか、もし可能だとしてそれは好ましいことであるかどうか、ということだ。たとえば、すべての供給者はNPOで利益を求めないとしよう。そこでは政府が適切に介入して、損がでるが社会的に有意義な事業(貧しい者、心身に障がいを持つ者、生活の糧を得ることができない高齢者などのための社会保障や福祉、両親を失った子供たちの養育や教育など)には補助金を出すことで、社会保障や福祉の問題の多くを解決することができる。また、貧富の格差も解消されよう。つまり、このような資本家なしの市場経済は実現できれば、少なくとも経済面においては、今よりもずっと公正で良い社会になることを期待できる。だが、利益を目指して市場競争をしている者たちが支配するグローバル経済の下で、このような牧歌的な経済体制が確立できるのかといえば、疑問と言わなくてはならない。しかし、膨大な商品が存在する現代、そしてさらにそれが拡大するであろう未来において、計画経済は非効率で、かつそれが全面化することは政治的な独裁に繋がる恐れが強い。あらかじめ何がどれだけ必要になるかを予測することは現実的には不可能で、すべてを計画経済に任せようとすると人々の自由な活動を抑制せざる得ない。それゆえ、計画経済は目指すべき道ではないと思われる。つまり、当分の間、私たちは市場経済のなかで生きていくしかない。私たちは、市場経済と資本主義は原理的には異なること、理論的には資本主義ではない市場経済、それも豊かで公平な社会の基盤となる市場経済を構築することが可能であることに留意し、未来を展望していくことが求められている。


(H31/3/31記)


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