☆ 資本主義の根拠 ☆

井出 薫

 私たちは資本主義の時代に生きている。資本主義は、利潤獲得を目的とする私企業の自由な活動を基盤としている。計画経済と異なり、私企業は商品がどれだけ売れるか分からないまま生産を開始する。だから、予想以上に売れて在庫切れになることもあるが、売れ残りが多くて経営不振に陥ることもある。社会全体でも、企業倒産の連鎖で経済が大混乱する危険性が常に存在する。また、資本主義では、法に抵触しない限りは、多額の利益を上げた者が勝者であり、累進課税、社会保障や福祉などで格差是正を図らない限り、所得格差、資産格差は拡大する。また、売れさえすれば何でも商品になってしまうため、社会的に有害なものが利益を上げ、逆に社会的に有意義なものが利益を上げられないことも多い。低所得者や高齢者、障がい者などへの福祉サービスが、社会的にみて極めて意義深いにも拘わらず利益が上がらない典型例として挙げられる。また、景観や自然生態系、学問や芸術、各人の人間としての価値など、元来、貨幣価値に換算することができないもの、換算するべきではないものすら、貨幣価値に換算され評価される。これも人の幸福や社会のよさは富だけでは決まらないという当たり前の事実を思い起こすとき、資本主義の欠陥だと言わなくてはならない。

 このような多くの欠点を持つ資本主義がなぜ成立するのだろう。ほかに代わるシステムがないと言う者がいる。計画経済がうまくいかないことは20世紀の共産主義国家の失敗が示唆している。ソ連・東欧の共産主義が崩壊した理由は政治的な自由を抑圧したことが大きな要因として挙げられるが、計画経済が機能しなかったことも大きい。中国は共産党の一党支配が継続しているが、資本主義的な市場経済を導入することで目覚ましい経済発展を遂げ、安定した社会を築くことに成功している。政治的な自由が制限されていても、生活が豊かになれば多くの国民は政府を支持する。しかし、ほかに代わるシステムがないということは、資本主義がそこそこうまくいっていることの結果であって、原因ではない。なぜ資本主義はそこそこ上手く行くのだろうか。

 マルクスは、資本主義は、労働者を搾取することで成立すると主張し、20世紀の共産主義運動に決定的な役割を果たした。資本家は無産の労働者の労働力を市場で購入し、生産現場で労働させる。労働力という商品の価値は、それを生産するために必要は労働量(具体的には生活必需品の価値)で決まる。しかし、労働力を有する労働者は、その価値を超えて労働させることができる。この必要労働を超えた剰余労働が資本家の手に落ち、それが剰余価値となり、流通過程を経て、産業資本家の利潤、金融資本家の利子、大土地所有者の地代に分配される。これがマルクスの思想で、労働価値説が正しいとすれば、その正しさは疑いないものとなる。しかし、労働価値説が普遍的に成り立つとは言えず、マルクスの思想が有効である環境は限られる。もし、労働搾取が資本主義成立の唯一の土台であるならば、労働者はもっと貧しく、貯金や株を所有する者などはいなかっただろう。そして、ずっと以前に資本主義は崩壊していたに違いない。先進国の資本家が、発展途上国の労働者から過酷な搾取を行い、その一部を自国の労働者に分配することで、自国の労働者の生活を改善したとレーニンは主張した。しかし、植民地支配が終わり、政治が安定している途上国が経済発展を遂げ労働者の生活が改善されたこと、貧困に喘ぐ途上国の多くが、貧困の理由が経済的なものであるよりも、政治的な不安定によるものであることを考慮すると、レーニンの主張も正しいとは言えない。それゆえ、資本主義は搾取というメカニズムと、代替システムの不在により、成立しているというよりも、その内部にほかの安定化のメカニズムが存在するとみなくてはならない。

 (マルクス主義者を除く)経済学者はしばしば市場の優越性を理由に挙げる。ミクロ経済学によると規制のない自由な市場は最適な資源配分を実現する。それは必ずしも公正な状態とは限らないが、政治が介入して富の再分配をすることで社会全体を経済的に豊かにすることができる。つまり自由な市場は万能ではないが、政府が適切な介入を行えばうまく機能し、社会をよくする。そして、市場経済が円滑に機能するためには、利益を上げることができると期待する者が多数現れ、市場に参入し競争が起きる必要がある。その時、市場は活況を呈し、富の蓄積が進む。ほとんどの者は富への強い欲求を持ち、富が得られるという期待は市場参入などの経済活動を促す。そのような人間の本性を解き放つことで、資本主義は市場経済を活性化し、社会を繁栄へと導く。これをこう要約してもよいかもしれない。人間の本性と近代社会の生産力の水準から、近代以降は、資本主義的な市場経済が最適状態であり、自然界では自由エネルギー最小状態が実現するように、人間社会では資本主義的市場経済という最適状態が実現する。これはもっともらしく、多くの現代人が暗黙の裡に支持する考え方だと言ってもよい。

 しかし、この考えは疑わしい。規制のない自由競争市場が資源の最適分配を実現するという経済学モデルは、市場経済の優越性を証明するものだとされている。しかし、このモデルは抽象的なものであり、様々な経済主体の活動を定性的に評価するうえで有用なモデルではあるが、現実には完全な自由競争はあり得ないし、経済主体が合理的に行動する保証はなく、一物一価も通常は成り立たない。それゆえ、この経済学モデルは、現実における市場経済の優越性を証明するものではない。また、人間は快適に暮らすために富を求めるとはいえ、リスクを抱え、富の獲得を先送りしてまで、市場で投資する性向を先天的に有しているとは言えない。投資への意志は、マックス・ウェーバーが示しているとおり、特定のイデオロギーを抱く者たちだけに見られる行動であり、それを人間の本性とみなすことはできない。それゆえ、人間の本性と近代社会の生産力の水準が自動的に、資本主義を成立させるとは言えない。

 確かに、そうは言っても、近代以降の人間は富を追い求めているし、中国の目覚ましい経済発展が示しているとおり市場経済が有用であることも間違いない。だが、それだけで資本主義が成立するわけではない。むしろ、資本主義を成立させている最重要な要因はもっと別のところにある。現代人は常に変化を求める。今日の自分は昨日の自分よりも良い存在でなくてはならない、明日の自分は今日の自分よりもより良い存在でなくてはならない、こういう観念に現代人は取り付かれている。それは個人だけでなく、企業、教育機関、行政などあらゆる組織においても変わることはない。社会全体としても同じで、GDPの低迷は国の衰退を示す指標だとされる。そのために、大量の富を所有していたとしても、高齢者はどこか物悲しい。 財政が健全でも発展のない組織は軽蔑される。GDPが伸びていないと首相や大統領など国の長は、国内外から非難を浴びる。これは、社会の構造自体に絶え間なく差異化するメカニズムが内在していることのイデオロギー的な現れと捉えられる。そして、その差異化のシステムが、(いまのところ)うまく機能していることが、資本主義が成立していることの最大の理由なのだと考えられる。マルクスは、資本を「自己増殖する価値体」と定義した。この定義は、まさしく、差異化するシステムの存在を示唆している。資本主義社会においては、(詳細は別の機会に譲るが)時間的差異、空間的・地域的な差異、権力関係の差異、情報の差異という4つの差異化するシステムの存在を指摘することができる。これは人が、時間、空間の中で、社会を形成し、情報交換して生きているという普遍的な構造を反映したものだと考えることができる。資本主義における差異化するシステムは常に安定しているものではないが、そこには人間社会の普遍的な構造の現代的な反映と言うべきものがあり、またイデオロギーにおいてそれが補強されている。ここにこそ、資本主義成立の根拠がある。


(H31/3/24記)


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