☆ 社会とは(試論) ☆

井出 薫

 「社会とは何か」という問いに答えるのは容易ではない。答えはないと言ってもよい。社会科学的な研究においても、論者、対象、方法によって社会の意味は異なってくる。況や日常生活においては、その場、その場で異なる意味合いで社会という言葉が使用される。

 そこで、私たちが漠然と「社会」という言葉で表現している存在の特徴を考えてみよう。もちろん、上で述べた通り、それは多様な使用を持つから、厳密な説明を提示することはできない。だが、おおよその性格を描き出すことはできる。

 社会は、広い意味での規則の集積体という性格を持つ。ここで、規則とは厳格なものとは限らず、習慣や伝統などと呼ばれるものを含む。たとえば、早朝、知人にあったら「おはようございます。」と挨拶をすることは、この例に属する。また、少人数の集団における便宜的な取り決めも含む。ただし、これら多様な規則を分類することはここではしない。

 自然を法則で表現することができるように、社会は規則で表現することができる。法則と規則の判別は必ずしも容易ではないが、おおむね、意図的に逸脱することができないものが法則、意図的に逸脱することができるものを規則と考えることができる。そして、これにより、社会と自然との差異が明らかになる。

 原始時代のように、集団がごく小規模で、産業、産業と生活で使用される道具、科学的な知見が著しく限定されている共同体では、規則の集積体はほとんどが無意識的なものに留まる。そこでは、規則と法則が区別されることはなく、いずれも呪術的な要素を含む。

 しかし、共同体の規模が拡大し、産業が振興するとともに、規則の集積体のうち一定の領域が、外部化・可視化つまり制度化されるようになる。それは、一定の水準を超えた共同体では、規則が順守され、それが成員の間で世代を超えて共有されるためには、規則を無意識的な場から外部化、可視化された場へともたらす必要があるからで、さもないと共同体は崩壊する。なお、表現として、制度化された段階の共同体を社会と呼び、共同体と区別することもできるが、本論では、制度化以前の共同体も、それ以降の共同体も併せて社会と呼ぶこととする。

 制度化された社会において、制度は実体的な組織と、意識化された規則=規範という二つの領域、互いに関連しながらも一定の範囲で自律した二つの領域からなる。さらに、制度の背景には依然として無意識的に機能する規則の集積体が存在し、それはしばしば文化と呼ばれる。また、規範は、明示的に制定され廃止されうる法規範と、文化的に継承され、明示的に制定することも廃止することもできない道徳規範に分けられる。道徳規範の中には、理念という性格を有する規範も存在し、それは特有の働きをする。つまり、ある水準を超えた社会は、その成員や財とともに、組織、法規範、道徳規範、文化からなる。法規範と道徳規範を比較すると、道徳規範はより文化に近い。

 このような社会の構造分離により、全体で共有または強制される規範だけではなく、各成員独自あるいは一部の集団だけで共有される規範が生まれるようになる。西洋近代においては、このような土壌の上に個人主義や近代的な人権思想が育まれたと考えることもできる。

 本論で提示した社会構造論は、社会の様々な課題の探求に貢献するだろう。またマルクスのいわゆる唯物史観を再解釈する道を開くことも期待される。


(H30/11/25記)


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