☆ ロシア革命100周年 ☆

井出 薫

 ロシアで10月革命が起き、ソビエト連邦(ソ連)が誕生してから今年の11月で100周年を迎える(注1)。もしソ連が健在で、中国が市場経済に移行せず、日本で(マルクス主義に強い影響を受けた)社会党が野党第一党の座を維持していたら、国内外で100周年の祝賀会が行われ、左翼やリベラルの雑誌には100周年の大特集が掲載されていたに違いない。しかし、現実には、ロシア革命100周年はほとんど無視されている。それも致し方ない。ソ連・東欧共産圏(注2)は89から91年に掛けて次々と崩壊し、中国は改革開放路線が確立してグローバル市場経済の重要な担い手へと変貌した。日本では社会党はすでに姿を消し、共産党も市場経済を半ば認めるようになっている。日本以外の国でも、共産主義の影響力は著しく後退している。今でも大型書店を見て歩くと、マルクスの著作やそれを論じた本は多数陳列されており、いまこそマルクス!とか、マルクスを読もう!などという宣伝文句が目に入る。しかし、最盛期に比べると(たぶん)5分の1以下に減っているし、かつては大型書店には必ず置いてあった大月書店発行のマルクス・エンゲルス全集(53巻+付録1巻)も絶版になって久しい。以前は大型書店では平積みにされていた国民文庫版「剰余価値学説史」も絶版状態で、図書館で借りて読むか、古書店をまわって探すしかない。このような状況では、ロシア革命100周年が無視されるのも無理はない。
(注1)現在のグレゴリオ暦では革命が起きた月は11月になるが、当時のロシアではユリウス暦が使用されており、ユリウス暦では10月になる。そのこともあって、10月革命と呼ばれることが多い。
(注2)日本共産党など、ソ連や中国の共産党に批判的なマルクス主義者は、ソ連や中国の共産党政権は共産主義の名に値しないと言うだろう。だが、ここでは慣例に従い、共産圏という表現を使用する。また、本稿では共産主義という言葉はマルクス主義を意味するものとする。なお、マルクスやエンゲルスがソ連や中国のような社会体制を期待した訳ではなく、マルクス主義が必然的に一党独裁を生み出すという考えは間違っている。また、マルクスの意味では、共産主義はこの地上には一度も実現されていない。この点で日本共産党の主張は正しい。しかしながら、マルクスの思想やそれに基づく運動が独裁へと転化する危険性を孕むものであることも否定できない。

 ロシア革命を起点とした20世紀の共産主義運動は失敗に終わり、世紀末にはマルクスの思想の影響力は薄れ、共産主義運動は衰退した。では、失敗した理由は何だろうか。色々なことが考えられる。マルクスは世界で一番進んだ国で最初の共産主義革命が起きると考えた。当時で言えば、英国が該当する。しかし実際は、ロシア、中国など革命当時、生産力が低く議会制民主主義の経験がない国で共産主義を標榜する革命が起きた。そこにはマルクスが期待するような共産主義が育つ素地がなかった。マルクスの思想にも難点が多かった。マルクスは、生産力に規定された生産関係が社会と歴史の現実的な土台だとして、経済的な革命を重視し、政治や法、文化などの役割の重要性を十分に評価しなかった。その結果、後継者たちは経済的な革命ばかりに固執し、民主や人権などには無頓着だった。その結果、政治的な自由など人権を重視する者たちは共産主義から離脱した。また資本主義はマルクスや後継者たちが考えるよりもずっと強かった。幾多の危機を乗り越えながら、先進資本主義国は発展し、労働者の権利、生活や労働条件も改善された。それにより共産主義の魅力は薄れた。他にもいくつか理由を挙げることができる。だが、これだけで十分だろう。いずれにしろロシア革命に端を発した共産主義が成功する見込みは薄かったと言わざるを得ない。

 ロシア革命は単なる偶発的な事件に過ぎなかったのだろうか。ロシア革命から1世紀が過ぎた。しかし、それが崩壊してからはまだ四半世紀しか経っていない。中国は改革開放路線に舵を切り経済大国へと発展した。しかし、その一方で、格差や汚職、環境問題などに悩まされている。中国で再び大きな方向転換が起きる可能性は残っている。民主や人権を共産主義と調和させることができるようになり共産主義が違う形で復活する可能性もある。それゆえ現時点で評価を下すことは時期尚早だろう。ただ、ロシア革命に始まる共産主義運動が世界を席巻した時期があったことは決して忘れることはできない。それゆえ、ロシア革命を忘れてもよい過去の出来事として扱う訳にはいかない。教師として学ぶにしろ、反面教師として学ぶにしろ、そこには注目すべき様々な出来事が溢れている。


(H29/10/22記)


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