井出 薫
蝙蝠は超音波を発射してその反射波で周囲を認識している。では蝙蝠には世界はどのように見えている(聞こえている)のだろうか。 これに答えるのは難しい。不可能だと言う者もいる。超音波は人の耳には聞こえない。周波数をずらして人が聞き取れる音に変換しても、それを人間の感覚に翻訳する方法が見当たらない。視覚的な生物である蜜蜂でも、その視界を人間のそれに変換することは難しい。感知できる周波数が人間と蜜蜂では違う。蝙蝠の場合と異なり、蜜蜂が感知できる周波数帯を人が見ることができる周波数帯に変換することで、蜜蜂の視覚像を模擬的に追体験することはできる。だが、それは蜜蜂に世界がどのように見えているのか(世界像)を教えるものではない。それは人間と蜜蜂の視神経の周波数特性を比較する手段でしかない。 デカルトは、人間以外の生物は単なる機械に過ぎないと考えた。そう考えると、そもそも蝙蝠も蜜蜂も世界像などないことになる。これらの生き物は単に外部からの刺激に反応して活動しているに過ぎない。だが、このような考えには無理がある。人間は生物進化により誕生した。もし人間以外の生物は全て外部の刺激に反応するだけの機械に過ぎず、その生物にとっての世界像など存在しないとすると、人間が有する世界像は、人類の祖先から現生人類へと進化する段階で誕生したものだということになる。しかし、北京原人は世界像を有していなかったのだろうか。そうは考えにくい。猿は世界像を有していないだろうか。有していると考える方が納得しやすい。 おそらく一定水準以上の神経系を有する生物は世界像を有する。但し、具体的に生物進化のどの段階で、どうやって誕生したのかは分からない。ただ、世界像を有することの利点は理解できる。世界像は生物が存在している世界そのものとは異なる。それは同じ対象(たとえば洞窟の壁)でも、人の世界像(視覚像など)と蝙蝠のそれが違うことから分かる。生物種によって、さらには同じ生物種でも個体差で世界像は違う。そして、世界像が世界そのものと異なることで、生物は世界像を操作して独自の世界を構築することができるようになる。世界像を有する生物は生存に有利な環境を世界像の操作を通じて自ら構築することができた。それがおそらく生物進化における大きな利点となった。人間では、それは文明にまで到達した。 但し、世界像を操作すると言っても、世界像は世界との関わりにおいてのみ存在する。如何に想像力が豊かな者でも、世界から完全に遊離した世界像を生み出すことはできない。私たちが手にする絵の具の種類は日々増えているが有限に留まる。その一方で、世界とは世界像を通じてしか私たちの前には現れないことも忘れてはならない。たとえばブラックホールは数式や図表、観測データを介して初めて現れる。このような人間存在の在り方をハイデガーに倣い世界内存在と呼んでもよい。 了
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