☆ 情報化社会 ☆

井出 薫

 「情報革命」とか「情報化社会」という言葉をよく耳にする。情報革命という概念は60年代からあるが、広く用いられるようになったのはアルビン・トフラーの「第3の波」(80年)以降で、90年代半ばのインターネットの普及を背景に人口に膾炙するようになる。第3の波とは、第1の波(農業革命)、第2の波(産業革命)に続く情報革命のことを意味し、情報革命により時代は大転換期を迎えているとトフラーは指摘する。

 情報革命により、第一次産業(農林水産業)や第2次産業(工業)に対して、情報、知識、サービスなど第3次産業の重要度が高まる。それゆえ情報化社会は脱工業化社会と重なる。この転換の土台は生産性の向上にあると言える。生産性の向上で、人々の暮らしは豊かになり、余暇が増え、多様な商品が市場に溢れる消費社会が到来する。消費社会では、生活必需品だけではなく、余暇を楽しむための諸製品や贅沢品が多数購入され消費される。多くの商品は、社会を維持するために不可欠な物ではなく、趣味の領域に属する物となる。その結果、何が売れるかは不確実になり、生産は恣意的な物となっていく。ここでは、マルクスの労働価値説は成立せず、それに呼応するかのようにソ連・東欧の共産圏は崩壊し中国は市場経済へと転換する。こうした時代背景の下、コンピュータとネットワーク技術の進歩により、脱工業化・情報化社会が到来し現在に至っている。そして、モバイル・ブロードバンドインターネットが普及した現代を「高度情報化社会」と称することもある

 だが、「情報化社会など幻想に過ぎず、産業資本主義の範疇を超える物ではない。」と批判されることも少なくない。確かに、農業革命や産業革命が(良し悪しは別として)生活様式を根底から変化させ、人々の活動範囲を飛躍的に拡大したのと比較すれば、情報革命など、それが発展途上だという点を差し引いても大した物ではないように思える。パソコンやインターネットの進歩・普及にも拘わらず、相変わらず人々は混んだ電車に乗って出社し、遅くまで働いて、疲れて車内で居眠りしながら帰宅する。労働時間も週40時間で高止まりしている。情報革命で生産様式は抜本的に改革され生産性が向上し労働時間は大幅に短くなるはずなのに、そうなっていない。正月やお盆の時期の高速道路の大渋滞も変わらない。情報はビジネスの道具としてしか認識されておらず、企業や政府はコンピュータやインターネットをどう活用すれば利益やGDP拡大に繋がるのか、そんなことばかり考えている。こういう現状を見れば、「何が情報革命だ、何が情報化社会だ、売れ筋の商品の種類が増えただけではないか」こう言いたくなるのも無理はない。事実、現時点では、いろいろと便利になったが、同時にスマホやパソコンに追われてストレスが増えた、という程度が情報化の実態と言わなくてはならない。90年代以降、衛生・栄養状態が改善し寿命が延び、街が綺麗になり、環境保全が幾らか進み、男女共同参画社会の実現など基本的人権面での進展が見られたのは事実だが、それらのことに情報技術は大して貢献していない。それゆえ社会の改善という面でも、情報化社会という言葉は空疎な物に留まっている。

 こうした現状にも拘わらず、やはり時代は情報化社会へと向かっている。いやすでに半ば実現している。それは情報化社会が消費社会の必然的な帰結だからだ。先ほども述べたとおり、消費社会では、多くの商品は生を維持するために不可欠な物として消費されるのではなく、趣味や娯楽として消費される。物ではなくそれが担う記号が消費されると言ってもよい。ベンツは自動車ではなく富の象徴として購入され運転される。移動のためだけならば中古車で十分なのに、金持ちは決して中古車などには手を出さない。これは単なる虚栄心や承認への欲求(他者に認めてもらいたい)ではない。人々は、富という記号を交換してコミュニケーションをしている。町でベンツを見かけると、人々はその運転者が金持ちであることを知り、その町を初めて来訪した者ならば金持ちが暮らす町だと考えるかもしれない。そして、ベンツを購入する者はそれがこういう効果を生み出すことを意識的あるいは無意識的に計算している。こうして、ボードリヤールが指摘するとおり、消費社会では商品はある種の言葉という性格を帯びることになる。言葉は記号として機能する。記号には記号内容と記号表記(感覚される物、文字とか音の集合体など)という二面性がある。言葉の場合は、たとえば「机」という表記は(たいていの場合)家財道具の一つである机を内容とする(注)。そして、表記と内容との間の対応は恣意的な物となる。表記「椅子」と(普通は「机」と呼ばれている)机とを対応させることもできる。同じ物を母国語が違う者は違う言葉で表現する。このように言葉や記号は根本的に恣意性を持つ。そしてそれは正しく消費社会における商品が有する性格だと言ってよい。「ベンツ」は富を表現するが、時と場所が変われば、ベンツ以外の自動車が富の象徴とされることもありえる。またベンツはベンツであることそれだけで富の象徴としてのベンツではない。他の安価な機種の自動車との比較において、(示差的に)ベンツは富の象徴としてのベンツになる。消費社会における商品は、正にこの恣意性と示差性においてある種の言葉(記号)として機能する。
(注)勿論、言葉の表記と言葉が表現する内容との関係は複雑で、単なる指示する物とされる物という関係ではない。ウィトゲンシュタインが指摘するとおり、言葉の意味するところを知りたければ、現実に、その言葉がどのように使用されているかを調べないといけない。それは言葉以外の記号でも同じで、記号表記と記号内容は必ずしも1対1対応するような物ではない。数学で用いられる記号は数学体系の中でしかその意味は分からない。そして、そこから言葉と記号の恣意性、示差性(他の記号との差異においてのみ、その記号は意味を持つ。1は2、3、・・との違いと関係性において初めて意味を持つ)が導かれる。しかし、対象物に名前を付けるという行為は極めて一般的で、言葉や記号の使用の原点と言ってもよい。それゆえ、表記「机」と物としての机を例に出すことは間違ったことではない。

 消費社会が生み出す膨大な数の記号としての商品は、二つの意味で情報化社会の到来を要請する。情報という言葉は様々な意味に使用されるが、一般的には、人々の行為や思考に影響を与える(意味を持つ)記号の集合体を意味する。それゆえ、消費社会とは、それ以前の社会とは異なり、商品という外観を有する膨大な数の記号が流通する社会という特徴を有する。つまり消費社会それ自体が情報化社会という性格を帯びることになる。さらに商品が記号化するつまり恣意性を持つことで、商品生産の計画策定が難しくなる。何が売れるか予測が困難だからだ。これにより消費社会は大きなリスクを背負うことになる。その対策が広告宣伝であり、また消費者動向の迅速な把握だ。そして両者は密接に関連する。一見不毛に見える溢れかえる広告宣伝(マルクスは資本論でそれを資本の空費と考えた)は消費社会には欠かせない。そして、広告宣伝はその効果が適切に推定できる物でなくてはならない。要するに、消費社会では、過剰とも思える情報提供と情報収集が必要となる。そのため、情報処理技術とネットワーク技術の進歩が切実な社会的要請となる。それがなければ消費社会は崩壊してしまうからだ。(注)
(注)情報処理技術とネットワーク技術の進歩と普及が追い付かず、消費社会が崩壊することはないのかと危惧されるかもしれない。その可能性はある。実際、日本におけるバブル崩壊はその実例であり、バブル崩壊以後の日本経済の停滞はその後遺症だと言ってもよい。空疎な記号としての土地や証券、株や土地など不動産は上がり続けるという神話(とその宣伝)、これら危険な記号の集合体つまり歪んだ情報が技術的に適切に処理できなかったことがバブルとその崩壊を生み出したと考えることができる。人々はバブル崩壊から多くを学んだが、それでも危機は解消されていない。そして、同じことが繰り返されようとしている。だが、それを解決しようとすると、(後戻りができない限り)情報技術の進化と普及を推進する以外には手はない。近年流行りのビッグデータはその象徴とも言えよう。

 こうして、それが革命的な物であるか否かは別として、現代という時代が情報化社会という表記を与えられるような特性を有する時代であることが確認される。それは産業資本主義の一段階に過ぎないかもしれないが、それでも産業資本主義の歴史の中で画期的な転換点であることは間違いない。そして(未来を見通すことは困難だが)情報化社会は産業資本主義を解体する可能性を孕んでいる。なぜならそこは記号が支配する社会であり、物の世界を超える可能性があるからだ。勿論、人は(物の一つである)身体を有し、完全には物から自由にはなれない。情報自身が物を媒体とするしかない。それでも情報化社会の進展は、徐々に物の制約を緩和していく可能性がある(注)。但し、それに期待できるのか、それで人々は幸福になれるのか、それらは全く別の問題と考えないとならない。
(注)古代や中世の人々の信仰は、記号の世界つまり情報の世界だったのではないかと思われるかもしれないが、それは違う。先進国に暮らす不信心な現代人の目には、信仰は記号の世界にみえるかもしれない。だが、信仰は人々の生活に直接的に結び付いており、ベンツのような恣意性も示差性も有しない。それゆえ信仰は簡単には揺るがない。大きな不幸に見舞われても信仰心の篤い者は信念を変えることはない。一方、ベンツのような記号は何かの事件や事故で一挙に解体することがありえる。福島原発の事故が原発の安全神話を簡単に覆したこともその一例と考えることができる。


(H27/8/30記)


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