☆ パターン認識、人工知能 ☆

井出 薫

 コンピュータ将棋は急速に強くなっている。しかし最強の棋士、羽生名人に勝てるかというと、対戦が実現していないので何とも言えないが、少なくとも圧倒できないことは間違いない。おそらく7番勝負だったら、4勝1敗くらいで羽生が勝つだろう。将棋はルールも勝敗の決まり方も明確で、人間よりも遥かに計算が速くて正確なコンピュータの方が人間よりも強くなりそうだが、なかなかそうはならない。

 将棋の場合、一つの局面で指せる手(ルール上、許されている指し手)は40手くらいある。おおよそ100手くらいで勝負がつくので、対局の開始から終局までの手順の総数は、40の100乗くらいあることになる。この数は余りにも膨大で、現在の世界最速のスーパーコンピュータよりも10億倍高速なスーパーコンピュータを開発・製造し、そのコンピュータ100億台で並列計算させても、宇宙の年齢(138億年と推測されている)くらいの時間では総手順のうち1%も計算できない。つまり、可能な指し手を片っ端から読んでみるという遣り方では将棋には勝てない。そこで、どうしているかというと、ある局面で可能な指し手を、10手から20手くらい先まで読んで、それぞれの局面の評価をし、最も評価が高い手を選択している。コンピュータはとにかく高速で正確だから読みの精度は人間よりも高い。しかし局面の評価が難しい。ここではコンピュータは人間には及ばない。そのために、時には素人でも指さないような悪手を指し、あっけなく負けることがある。だから局面の評価手法を改良することがコンピュータ将棋を強くすることに繋がる。これまでは、この評価手法は人間が考えてプログラミングしてきた。開発者はプロ棋士ではないから棋士に協力を求めてプロがどのように評価するかを研究して、その成果をプログラミングする。しかし、プロ棋士自身が、自分がどのように局面を評価しているのか知らない。別に隠している訳ではない。プロ棋士は直観的に局面を評価する。直観を言葉で厳密に表現することはできない。イチローに「どうしたら、そんなに打てるようになるのですか」と尋ねてもイチロー自身が答えられないのと同じだと言ってもよい。そこで、最近は、プロ棋士の棋譜を参考に評価手法をコンピュータ自らに学ばせるという方法が主流になっている。

 人間は雑踏で容易に家族や友人の顔を見分けることができる。しかし、コンピュータやロボットには難しい。コンピュータはパターン認識を最も苦手とする。しかしコンピュータ将棋を強くするためには、パターン認識が欠かせない。ある局面で指せる手が40手あるとしても、プロ棋士はその全てを読むわけではない。瞬時に有力な手を6か7ほど選択して、その手を深く(ずっと先まで)読んでいく。有力な手を選択するところでパターン認識が働いている。瞬間的に局面のパターンを把握し、そこから有力な指し手が浮かび上がってくる。また、先まで読んだところで、その局面を評価する際にもパターン認識が使われている(プロ棋士は、持ち駒の数など定量的な評価だけではなく、駒の配置など形の良し悪しを優劣の判定材料に使っている)。

 人間の知的な活動の多くは、パターン認識あるいは特徴の認識だと言ってよい。そして、人間はそれを日々経験や学習に基づき、本能的あるいは合目的的に身に付けていく。一方、コンピュータは、計算は高速で正確だが、パターンや特徴の認識や学習が不得手だった。そのために人間の知能には遠く及ばず、その利用は限られていた。たとえば、人工知能を開発するうえで大きな難問とされてきたのが、フレーム問題と記号接地問題だが、いずれもパターン認識や特徴の認識と関わりがある。フレーム問題とは、膨大な知識の中から、課題解決と関係がある範囲(フレーム)をどうやって定めるかという問題だ。将棋の対局で、「米国の大統領はオバマである」という知識は何の役にも立たない。しかし「対局相手はせっかちである」という知識は役立つ。それは指し手とは直接的な関係がないが、その知識から「最善手ではないが、この手を指すことで相手の焦りを誘うことができる」という戦略を立てることができる。人と人との勝負はコンピュータ同士の勝負とは違う。心理戦が勝敗の大きなカギを握る。この例はフレームを定めることが容易ではないことを示している。「オバマは米国の大統領」はフレーム外だが、「せっかち」はフレームの中にある。では「彼は滅法、美人に弱い」はどうだろう。普通は関係ない(フレーム外)。しかし、対局場で若い美人が観戦しているとしたら、この知識は役立つ可能性がある。対局相手の視界にその美人が入るように仕向けることで相手の気を散らし対局を有利に運ぶことができるかもしれないからだ。このようにフレーム問題を解決することは容易ではなく人工知能開発のネックになっている。おそらく人間は自らが置かれた状況のパターンや特徴を把握し無意識のうちにフレームを定めている。勿論そのフレームが不適切であることもある。しかし大体において人間は上手くやっている。その点で人間はコンピュータを凌ぐ。もう一つの問題、記号接地問題とは、記号と現実の物とをどうやって結び付けるかという問題で、こちらもパターンと関係する。たとえばシマウマを知らない者に、「白と黒の縞模様をした馬」と教えると、教えられた者はすぐに、実物のシマウマを見たときに、「あれがシマウマだ」と認識することができる。しかしコンピュータやロボットにはそれが極めて難しい。人間は自らが置かれている状況のパターンや特徴を把握し、そこから適切な行動を導き出している。言い換えれば、無数の情報からそのパターンや特徴を抽出し、状況を単純化することで適切な行動を導き出している。しかしコンピュータやロボットにはそれができない。

 ところが、ここ10年くらいで、コンピュータで、パターン認識を高速かつ正確に行い、それを学習することが可能になってきた。その中核となる技術が人間の脳神経網を模倣したニューラルネット上で展開される深層学習(ディープラーニング)で、この技術を活用することで、これまでのコンピュータやロボットよりも格段に人間の知能に近い処理ができるようになる可能性がある。2045年には、人工知能が人間の知能を凌ぎ、人間を不要なものとする恐れがあるという警告すら発せられている。このような警告はいささか大げさだが、確かに人工知能は一つの壁を超えつつあると言える。パターン認識や特徴の抽出は、人間知性の二大領域の一つをなす。もう一つは記号処理を含む計算で、この領域ではすでにコンピュータは人間の遥か上を行っている。つまり深層学習が広く浸透すれば、そこに在るのは確かに人間の知能を超えた存在だということになる。さらにインターネットの拡大と情報のデジタル化の急速な進展で、コンピュータやロボットが利用できる情報量が指数関数的に増大していることが大きい。これにより、コンピュータやロボットは(人間ではとても扱いきれない)膨大な量の情報を処理し学習することができるようになる。

 だからと言って、人間が機械に支配されることになる訳ではない。機械は欲望も意志も持たない。だから人を支配することなどに関心を持つことはない。だが欲望も意志もないままに、何か偶発的なことで(人間の目からすれば)機械が人間を支配しているという状況が生じる可能性はある(ロボット戦闘員の命令に住民は従わざるを得ない状況など)。また最も人間的な行為とされる芸術で、人間よりも機械が優れた作品を生み出す時代が来ることは十分にあり得る。いや、いずれはそういう日が必然的に遣ってくるだろう。そういう日が到来することに備えて、私たちは今から準備を始める必要がある。


(H27/8/2記)


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